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黒田室長はAIを教えない

AI時代に一番大切な仕事の教科書

第1章

AIは新人社員

AIを新人のように扱うとはどういうことか。美咲たちは黒田の問いと向き合い始める。

読了時間 約7分公開日 2026年7月20日
  • AI
  • 新人
  • 育てる

営業部の朝は早い。

九時の始業まであと二十分。

コピー機の音、キーボードを叩く音、コーヒーメーカーから立ちのぼる香り。

そのいつもの風景の中で、佐藤美咲だけはパソコンの画面をじっと見つめたまま動けずにいた。

画面には、新しく導入された生成AIのログイン画面。

昨日、全社説明会で配布されたアカウントだ。

カーソルが点滅している。

けれど、その先へ進めない。

佐藤美咲 — 「使わなきゃ……。」

そう思えば思うほど、手は止まる。

もし間違えたら。

変な答えが返ってきたら。

お客様へそのまま送ってしまったら。

頭の中には「もしも」ばかりが浮かんでいた。

— 「おはようございます!」

営業部の静かな空気を破るように、大きな声が響く。

蒼だった。

入社三年目。

営業部で一番、新しいものが好きな男。

今日も満面の笑みで自分の席に座ると、パソコンを開くより先にAIを立ち上げた。

— 「佐藤さん、もう使いました?」

美咲は苦笑する。

佐藤美咲 — 「まだ。」

— 「もったいないですよ!」

蒼は嬉しそうに画面を見せた。

— 「昨日の議事録、五秒でした。」

— 「メールも作ってくれます。」

— 「提案書も下書きしてくれます。」

— 「もう最高ですよ。」

子どもがおもちゃを見せるような笑顔だった。

美咲は思わず笑ってしまう。

佐藤美咲 — 「蒼くんは楽しそうだね。」

— 「だって、すごいじゃないですか。」

— 「仕事が楽になりますよ。」

その言葉に、美咲は少しだけ視線を落とした。

佐藤美咲 — 「……楽になるだけなら、いいんだけど。」

蒼は首をかしげる。

— 「え?」

佐藤美咲 — 「仕事までなくならないかなって。」

その言葉に蒼は少し考えたが、すぐに首を振った。

— 「そんなことないですよ。」

— 「人にしかできない仕事ってありますから。」

佐藤美咲 — 「例えば?」

— 「……。」

蒼は答えに詰まった。

そのときだった。

コトッ。

机の上へ紙コップが置かれる。

湯気の立つブラックコーヒー。

黒田 — 「どうぞ。」

黒田だった。

昨日営業部へ異動してきたばかりの新任室長。

派手な挨拶もなければ、AIの専門用語を並べることもない。

それなのに、不思議と周囲が静かになる人だった。

佐藤美咲 — 「ありがとうございます。」

美咲が受け取ると、黒田は隣の席へ腰を下ろした。

しばらく二人とも何も話さない。

黒田はゆっくりコーヒーを飲み、美咲は紙コップの湯気を眺めていた。

その沈黙が、不思議と気まずくない。

黒田が静かに口を開く。

黒田 — 「佐藤さん。」

佐藤美咲 — 「はい。」

黒田 — 「新人教育って、したことある?」

予想もしない質問だった。

佐藤美咲 — 「あります。」

佐藤美咲 — 「毎年、一人か二人くらい。」

黒田はうなずく。

黒田 — 「新人は、最初から仕事できる?」

佐藤美咲 — 「もちろんできません。」

黒田 — 「どうする?」

佐藤美咲 — 「まず教えます。」

黒田 — 「失敗したら?」

佐藤美咲 — 「一緒に直します。」

黒田 — 「質問されたら?」

佐藤美咲 — 「答えます。」

黒田はまた一口、コーヒーを飲んだ。

そして小さく笑う。

黒田 — 「AIも同じ。」

美咲は思わず聞き返した。

佐藤美咲 — 「え?」

黒田 — 「昨日入社した新人だと思えばいい。」

その一言で、美咲の頭の中にあったAIのイメージが少し揺らいだ。

佐藤美咲 — 「新人……。」

黒田 — 「そう。」

黒田 — 「昨日入社したばかり。」

黒田 — 「何も知らない。」

黒田 — 「でも、覚えるのは速い。」

黒田は机の上のパソコンを指差した。

黒田 — 「新人が初日に失敗した。」

黒田 — 「だからもう仕事を頼まない。」

黒田 — 「そんな上司、嫌だよね。」

美咲は思わず吹き出した。

佐藤美咲 — 「嫌ですね。」

黒田 — 「AIも同じ。」

営業部の空気が少し柔らかくなる。

向かいの席では、蒼が相変わらずAIへ次々と仕事を頼んでいた。

— 「提案書を作って。」

— 「営業メールも。」

— 「市場分析もお願い。」

画面には次々と文章が表示されていく。

— 「すごい……。」

蒼は感心しきりだった。

黒田が後ろから画面をのぞき込む。

黒田 — 「便利そうだね。」

— 「でしょう!」

蒼は得意げだった。

— 「全部やってくれます。」

黒田は少しだけ画面を眺める。

黒田 — 「質問。」

— 「はい。」

黒田 — 「昨日入社した新人へ。」

黒田 — 「いきなり提案書。」

黒田 — 「メール。」

黒田 — 「市場分析。」

黒田 — 「全部任せる?」

蒼の指が止まった。

— 「……無理ですね。」

黒田 — 「どうして?」

— 「まだ何も分からないからです。」

黒田は静かに笑う。

黒田 — 「AIも同じ。」

蒼は苦笑した。

— 「便利だから。」

— 「全部頼んでました。」

黒田 — 「新人に全部任せる上司は?」

— 「ブラックですね。」

営業部に笑いが広がった。

その日の夕方。

美咲は意を決してAIへ初めて仕事を頼んだ。

佐藤美咲 — 「今日の商談内容を整理してください。」

数秒後。

文章が表示される。

決して完璧ではない。

細かな修正は必要だった。

それでも、ゼロから書き始めるよりずっと早かった。

美咲は文章を読み返しながら、自分の言葉へ直していく。

佐藤美咲 — 「……これなら。」

その様子を見ていた黒田が、小さく声を掛けた。

黒田 — 「どうだった?」

美咲は画面から目を離さず答えた。

佐藤美咲 — 「新人にしては。」

佐藤美咲 — 「頑張ってくれました。」

黒田は静かに笑った。

黒田 — 「いい上司だ。」

美咲も少し照れくさそうに笑う。

AIへの恐怖は、まだ消えていない。

でも。

「育てる。」

そう考えた瞬間、不思議と少しだけ距離が縮まった気がした。

黒田室長の仕事ノート No.1

AIは新人社員。

新人に最初から完璧を求めないように、AIにも最初から完璧を求めない。

教えること。

試すこと。

一緒に育つこと。

それが、人にもAIにも共通する最初の仕事である。

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