木曜日の午後。
営業部には珍しく緊張した空気が流れていた。
大型案件のプレゼンが翌日に迫っていた。
相手は創業八十年の老舗メーカー。
受注できれば、今年最大の契約になる。
会議室のテーブルには、印刷された提案書が並んでいた。
美咲は最後の一枚を置きながら、小さく息をつく。
佐藤美咲 — 「これで、完成です。」
営業部のメンバーが資料を手に取る。
蒼がページをめくる。
蒼 — 「すごいですね。」
蒼 — 「AIも結構使いました?」
佐藤美咲 — 「うん。」
美咲はうなずく。
佐藤美咲 — 「下書きはAI。」
佐藤美咲 — 「でも全部、自分で直した。」
蒼 — 「いいじゃないですか。」
蒼は素直に感心した。
以前なら、
「AIが全部やればいいのに。」
と言っていたはずだ。
少しずつ考え方が変わってきている。
そこへ黒田が入ってきた。
手にはいつものブラックコーヒー。
黒田 — 「できた?」
佐藤美咲 — 「はい。」
美咲は少し誇らしそうに提案書を差し出した。
黒田は受け取る。
すぐには読まない。
営業部を見渡して言った。
黒田 — 「レビューしよう。」
営業部の空気が少し止まる。
美咲は少し不安になる。
また赤字だらけになるのだろうか。
新人の頃、上司から返ってきた資料は真っ赤だった。
あの日の悔しさは、今でも覚えている。
黒田は一ページ目を開く。
しかし、赤ペンは持っていない。
代わりに顔を上げた。
黒田 — 「質問。」
営業部全員が黒田を見る。
黒田 — 「この提案。」
黒田 — 「誰に向けて書いた?」
美咲が答える。
佐藤美咲 — 「社長です。」
黒田は首をかしげる。
黒田 — 「社長?」
佐藤美咲 — 「はい。」
黒田 — 「社長しか読まない?」
美咲は黙る。
営業担当。
工場長。
経理。
情報システム。
決裁に関わる人は何人もいる。
佐藤美咲 — 「……違います。」
黒田 — 「じゃあ。」
黒田 — 「この資料。」
黒田 — 「全員に伝わる?」
営業部が静かになる。
蒼が資料を読み返す。
蒼 — 「専門用語、多いですね。」
別の社員が言う。
営業部員 — 「工場長には伝わるけど、経理は分からないかも。」
営業部員 — 「逆もあるな。」
誰かがつぶやく。
黒田は何も言わない。
ただコーヒーを一口飲む。
美咲は提案書を見つめた。
今まで、
「良い資料を作ろう。」
そう思っていた。
でも、
「誰に伝えるか。」
そこまで考えていなかった。
一時間後。
会議室のホワイトボードは付箋でいっぱいになっていた。
「社長が知りたいこと」
「現場が知りたいこと」
「経理が気にすること」
「情報システムが心配すること」
提案書ではなく、
相手の頭の中が並んでいた。
黒田はペンを置く。
黒田 — 「営業って。」
黒田 — 「資料を作る仕事じゃない。」
美咲が顔を上げる。
黒田 — 「相手の頭の中を想像する仕事。」
誰もメモを取らない。
でも全員が覚えていた。
夕方。
美咲は提案書を書き直していた。
AIにも相談する。
しかし、最初に入力したのは機能ではなかった。
この提案を読むのは、社長、工場長、経理部長、情報システム担当です。それぞれが気になる点を整理してください。
数秒後。
画面に並んだ内容を見て、美咲は思わず笑った。
佐藤美咲 — 「昨日より、いい答えだ。」
いや、違う。
昨日より、自分の質問が良くなった。
そのことに気付いたのだった。
翌日。
プレゼンは無事に終わった。
帰り道。
美咲は営業車の中で、大きく息を吐いた。
蒼 — 「どうだった?」
運転席の蒼が聞く。
佐藤美咲 — 「質問された。」
佐藤美咲 — 「いっぱい。」
蒼 — 「困った?」
美咲は首を横に振る。
佐藤美咲 — 「ううん。」
佐藤美咲 — 「全部。」
佐藤美咲 — 「想定してた質問だった。」
蒼が笑う。
蒼 — 「黒田さんのおかげですね。」
美咲も笑った。
佐藤美咲 — 「うん。」
少し考えてから付け加える。
佐藤美咲 — 「でも。」
佐藤美咲 — 「最後に答えたのは。」
佐藤美咲 — 「私だった。」
その言葉に、蒼は静かにうなずいた。
AIも、黒田も、答えを代わりに言ってはくれない。
最後にお客様の前で話すのは、自分だ。
その責任を少しだけ誇らしく思えた。
黒田室長の仕事ノート No.3
良い資料は、一人では作れない。
AIの視点。
仲間の視点。
お客様の視点。
視点が増えるほど、提案は強くなる。
仕事とは、答えを作ることではない。
相手が納得できる答えを、一緒に育てることである。
COMPLETE
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