金曜日の夕方、美咲は完成した提案書を前に、送信ボタンへ手を伸ばしかけていた。
来週の部内会議で使う、新サービスの企画提案書。 背景、課題、顧客の声、施策案、概算費用。必要な項目はそろっている。
「よし。これで送れる」
そう思った瞬間、美咲は手を止めた。
前回の提案では、数字に一桁だけ誤りがあった。 会議の場で佐伯さんが気づいてくれたから大事にはならなかったが、あのときの背中が冷たくなる感じはまだ覚えている。
「もう一回、全部読む……?」
ページをめくる。 けれど、自分で何度も書いた文章は、読めば読むほど“正しく見える”。
そこへ黒田室長が通りかかった。
「まだ送ってないのか」
「はい。見直しているんですけど、どこを見ればいいのか分からなくなってきて」
黒田室長は資料を一枚だけ見た。
「自分で作ったものを、自分だけで何回読み直しても、見落とすものは残る」
美咲はうなずいた。
「誰かに見てもらいたいんですけど、みんな忙しそうで……」
「全部を見てもらう必要はない。AIに“レビューする役”を頼めばいい」
「誤字脱字を探してもらうんですか?」
「それだけじゃない。提出する資料には、見るべき観点があるだろう」
黒田室長は指を折った。
「目的が伝わるか。読み手の疑問に答えているか。数字の根拠はあるか。やることと次の判断が分かるか」
「AIに、そこをチェックしてもらう?」
「そうだ。ただし、“いい資料ですか?”と聞くな。何を基準に見てほしいかを渡せ」
美咲はチャット画面を開き、提案書の要点を貼った。
あなたは、部内会議に出席するレビュー担当者です。
以下の提案書の内容を、次の観点で確認してください。
- この提案で決めてほしいことが最初に分かるか
- 読み手が「なぜ今やるのか」を理解できるか
- 主張を支える数字・事実に根拠があるか
- 想定される懸念や前提条件が書かれているか
- 次に誰が何を判断するのかが明確か
根拠のない推測はせず、資料内で不足している点を「確認質問」として挙げてください。
重要度を「高・中・低」で付け、修正案は短く具体的に示してください。
AIの返事は、ほめ言葉から始まらなかった。
【重要度:高】
この提案で会議に求める判断が、3ページ目まで明示されていません。
「新サービスを始めるか」「調査を続けるか」「予算を承認してほしいか」のどれを決めたい資料ですか?
美咲は思わず画面を見つめた。
確かに、企画の説明はしている。 でも会議で何を決めてほしいのかは、最後のページにしか書いていない。
AIは続けた。
【重要度:高】
利用者ニーズとして「問い合わせが増えている」とありますが、件数・期間・情報源が本文中で確認できません。
「どの問い合わせを、いつからいつまで、何件確認したか」を示せますか?【重要度:中】
概算費用は記載されていますが、費用に含まれる範囲と含まれない範囲が分かりません。
想定より費用が増える条件はありますか?
「うわ……」
美咲は、少し恥ずかしくなった。 資料に書いてあるから分かると思っていたことが、読む人には分からない。
でも、AIが答えを勝手に作ってはいない。 美咲の資料から足りないところを見つけ、質問として返しているだけだった。
美咲は、指摘を三つに分けた。
- すぐ直せる表現
- 事実を確認すれば直せる箇所
- 自分だけでは決められない前提条件
「費用の範囲は、経理の石田さんに確認しよう」 「問い合わせ件数は、先月の集計表を見れば出せる」 「会議で決めてほしいことは……室長とすり合わせよう」
AIの指摘をそのまま直すのではない。 一つずつ、自分で資料と現場の事実を確かめる。
美咲は最初のページを開き直し、見出しを変えた。
本日ご判断いただきたいこと:
新サービスの検証を、3か月・上限○○万円で開始してよいか
その下に、背景を一文で置いた。
直近3か月で、対象の問い合わせが前年同期比で増加。現行の対応だけでは、利用者の不満を解消しにくい。
「最初にこれがあれば、読む人も迷わないかも」
次に、根拠となる件数の出典を脚注へ足す。 費用のページには、「初期設定費を含む/広告費は含まない」と明記した。 不確かな部分は、断定せず「検証期間中に確認する事項」として整理した。
一時間後。 美咲は、もう一度同じ指示でAIに見てもらった。
【重要度:低】
「利用者の不満を解消する」という表現は広いため、成功の目安を一つ加えると、検証後の判断がしやすくなります。
美咲は頷いた。
「問い合わせ件数を減らすのか、回答までの時間を短くするのか。そこも決めないといけないんだ」
資料は、最初より少し長くなった。 でも、何を判断してほしいのか、何が根拠なのか、どこがまだ分からないのかは、ずっと見やすくなった。
送信前、美咲は佐伯さんに最終ページだけを見せた。
「どうでしょう」
佐伯さんは読んで、すぐに笑った。
「うん。これなら会議で何を話すべきかが分かる」
「AIにレビューしてもらったんです」
「いいね。AIの答えを採用したんじゃなくて、AIの質問で資料を強くしたんだ」
美咲は送信ボタンを押した。
見直しは、間違い探しだけではない。 相手が迷わず判断できるように、資料の足りない部分を見つける仕事なのだ。
美咲AIノート
今日の学び:AIに「提出前レビュー」を頼む
AIは、資料を自動で正解にする道具ではありません。 読み手の役になって質問させると、自分では見落としやすい前提・根拠・判断事項を見つけやすくなります。
特に、次の五つを確認すると効果的です。
- この資料で何を決めてほしいか
- なぜ今、それが必要なのか
- 主張を支える事実・数字・出典はあるか
- 想定される懸念や、まだ不明な前提は何か
- 誰が次に何をするのか
使えるプロンプト
あなたは、この資料を初めて読むレビュー担当者です。
以下の内容を、提出前に確認したいです。次の観点で、読み手が疑問に思う点・根拠が不足している点・判断に必要な情報が足りない点を指摘してください。
- 資料の目的と、決めてほしいこと
- 背景と必要性
- 数字・事実・出典の根拠
- 前提条件・リスク・例外
- 次のアクションと担当
根拠のない情報は補わず、確認質問として示してください。
各項目に「高・中・低」の重要度を付け、修正案は短く具体的にしてください。【資料の内容】
(ここに本文または要点を貼る)
実務での使い方
- まず、資料で決めてほしいことを一文にする
- AIへ資料の本文または要点を渡し、観点を指定してレビューさせる
- 指摘を「すぐ直せる」「事実確認が必要」「関係者と決める」に分ける
- 数字・出典・前提は、必ず元資料や担当者に戻って確認する
- 修正後に、もう一度レビューして抜けを減らす
使用時の注意
顧客名、個人情報、未公開の数字、社外秘資料は、そのままAIへ入力しないでください。 また、AIの指摘は確認事項です。事実関係や方針の最終判断は、資料の責任者と関係者が行います。
美咲の一歩
「見直す」は、間違いを探すことだと思っていた。
でも本当は、相手が安心して判断できるように、足りない問いを見つけることなのかもしれない。
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第11話「AIとつくる、引き継ぎメモ」
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