月曜日の午後、美咲は自分の机の前で固まっていた。
「美咲さん、今週の金曜日、午後は空けられる?」
山内部長に呼ばれ、美咲は顔を上げた。
「はい、大丈夫です」
「急で悪いんだけど、来週から入る佐藤さんに、月次の問い合わせ集計を引き継いでもらいたいんだ。まずは美咲さんのやり方を教えてあげて」
美咲は反射的にうなずいた。
「分かりました」
返事をしたあとで、少し困った。
月次の問い合わせ集計は、美咲が毎月やっている仕事だ。
共有メールボックスから問い合わせを確認する。
Excelに件数を転記する。
内容を「商品」「納期」「請求」「その他」に分ける。
先月と違う動きがあれば、理由を考えてコメントを書く。
慣れてしまえば、半日もかからない。
けれど、誰かに教えるとなると、どこから説明すればいいのだろう。
「まずメールを開いて……いや、その前に、今月の締め日を確認して……」
頭の中ではできているのに、言葉にしようとすると順番が崩れた。
美咲は、先月のExcelを開いた。
表には数字が並んでいる。
右側には、美咲が書いた短いコメントがある。
「納期問い合わせが増加。新商品の案内後から増えている可能性」 「請求に関する問い合わせは減少。請求書の表記変更が影響か」
自分では当たり前に書いていた。
でも佐藤さんが同じ表を見ても、どのメールを数えるのか、どこまでを“納期”にするのか、何を見てコメントを書くのかは分からない。
「私、仕事のやり方を説明できないかも……」
隣の席の佐伯さんが、資料を閉じた。
「引き継ぎ?」
「はい。集計のやり方を渡すことになったんですけど、説明しようとすると、何をしているか自分でも曖昧で」
「それは、美咲さんだけじゃないよ。仕事って、慣れるほど説明を省略するから」
「どうしたらいいですか?」
佐伯さんは、美咲の画面を見て言った。
「一回、AIに“新人として質問”してもらえばいい」
「AIに?」
「自分の仕事を、いきなり完璧なマニュアルにしなくていい。まずは、今のやり方を箇条書きで渡して、分からないところを質問してもらうんだよ」
美咲は、少し考えてからチャット画面を開いた。
そして、まずは自分がやっていることを思いつくままに書いた。
毎月、共有メールボックスの問い合わせを集計しています。
月初から月末までのメールを確認し、問い合わせ件数をExcelに入力します。
内容を商品、納期、請求、その他に分け、前月と差があればコメントします。
新しく入った担当者が一人で作業できるように、この業務の手順を整理したいです。
あなたは新人担当者として、説明が足りない点を質問してください。
すぐに、AIから質問が返ってきた。
「集計対象にするメールと、対象外にするメールの違いは何ですか?」
美咲は止まった。
広告メールは除く。
社内の確認メールも除く。
同じ件名で何度も続くやりとりは、一件として数える。
自分はいつもそうしていた。
でも、それをどこにも書いていなかった。
AIは続けた。
「複数の内容が含まれる問い合わせは、どの分類に入れますか?」
「前月との差は、何件以上あればコメントしますか?」
「コメントは事実だけを書きますか。それとも原因の仮説も書きますか?」
質問されるたびに、美咲は自分の仕事の中にある“小さな判断”を見つけた。
集計する。
分類する。
比較する。
一言で言えば三つだけだった。
けれど実際には、その間にたくさんの基準がある。
美咲は、AIとのやり取りを見ながら、仕事を次の四つに分けた。
- 作業の目的
- 必要な資料と締め日
- 順番にやる操作
- 迷ったときの判断基準
「これなら、佐藤さんにも渡せるかも」
次に美咲は、手順を整えるようAIに頼んだ。
以下の業務メモを、新任担当者向けの手順書にしてください。
「目的」「事前に準備するもの」「作業手順」「判断に迷ったときの確認先」「完了チェック」の見出しで整理してください。
分からないことは補わず、[要確認] と表示してください。
AIが作った下書きは、意外なほど読みやすかった。
ただし、美咲はそのまま保存しなかった。
締め日、保存場所、確認先、分類ルールを一つずつ見直す。
AIが「月末」と書いた箇所は、正しくは「翌営業日の午前中」だった。
「納期」と「商品」の両方に関係する問い合わせは、件数を二重に数えないというルールも、補足した。
最後に、美咲は新しいExcelの横に、短いチェックリストを置いた。
- 対象期間は合っているか
- 重複メールを二重に数えていないか
- 分類に迷ったメールを独断で決めていないか
- 前月との差に理由を書いたか
- 完成ファイルを所定の場所に保存したか
金曜日。
佐藤さんが、美咲の隣に座った。
「では、やってみましょうか」
以前の美咲なら、画面を操作しながら全部を説明していたかもしれない。
でも今日は、まず手順書を渡した。
「最初にこれを見ながら、一度やってみてください。途中で迷ったところがあれば、一緒に確認しましょう」
佐藤さんは、手順書を読みながら集計を進めた。
しばらくして、画面を指さした。
「このメールって、納期と商品、両方に見えるんですが」
美咲はうなずいた。
「そこ、手順書に足りなかったですね。二つに関係していても、問い合わせの主な目的で一つに決めます。迷ったら私か佐伯さんに聞いてください」
その場で手順書を更新する。
一回で完璧に渡せるわけではない。
でも、質問が出た場所を直せば、次はもっと分かりやすくなる。
作業が終わるころ、佐藤さんが笑った。
「思っていたより、自分でできました」
美咲も笑った。
「私も、初めて自分の仕事が見えた気がします」
AIに任せるためには、仕事を小さく分ける必要がある。
そして、人に引き継ぐためにも、同じことが必要なのだ。
“自分だけが分かる仕事”を減らすことは、AIのためだけではない。
チームが少し楽になるための準備でもある。
美咲AIノート
今日の学び:AIに「新人の質問」をしてもらう
慣れた仕事ほど、手順の途中にある判断や例外を説明しにくくなります。
AIに「初めて担当する人」の立場で質問してもらうと、自分では当たり前すぎて書いていなかった前提や判断基準を見つけられます。
- 何のためにする仕事か
- どの資料を使うか
- どの順番で進めるか
- 迷ったときにどう判断するか
- 完了を何で確認するか
使えるプロンプト
以下は、私が担当している業務のメモです。
新しく担当する人が一人で作業できるよう、手順書を作りたいです。
あなたは新人担当者として、説明が足りない点や、判断に迷いそうな点を質問してください。その後、次の見出しで手順書の下書きに整理してください。
- 目的
- 事前に準備するもの
- 作業手順
- 判断に迷ったときの確認先
- 完了チェック
書かれていない情報は推測せず、[要確認] と表示してください。
【業務メモ】
(ここに今のやり方を箇条書きで貼る)
実務での使い方
- まずは、頭の中にある手順を箇条書きにする
- AIからの質問に答え、判断基準や例外を足す
- AIに下書きを整理してもらう
- 実際に初めての人に使ってもらい、詰まった場所を更新する
使用時の注意
手順書には、社外秘情報、個人情報、パスワード、顧客データをそのまま入力しないでください。
AIが作った手順書も、実際の担当者・責任者が確認してから使います。締め日、承認者、保存場所、例外対応などは、必ず現場の運用に合わせて確定させましょう。
美咲の一歩
仕事を教えるのは、自分ができることを見せることだと思っていた。
でも本当は、相手が一人でも迷わない道をつくることなのかもしれない。
次は、自分の仕事を「誰かに渡せる形」にしてみよう。
前の話
第10話「で、AIに何を任せればいいんですか?」
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