火曜日の午前、美咲のメールに一通の返信が届いた。
件名は、「業務委託契約書(改定版)のご送付」。
来月から使う予約システムの会社からだった。 先週、見積もりの条件を確認したばかりなのに、添付されているのは「改定版」の契約書だった。
「改定版……?」
美咲は、添付ファイルを開いた。 十数ページの契約書。文字は小さく、同じような言葉が何度も出てくる。
利用料、契約期間、解約、損害賠償、秘密保持。
どれも大切そうだ。 でも、前に送られてきた版と何が変わったのかは、ぱっと見ただけでは分からない。
そこへ山内部長からメッセージが来た。
「今日中に内容を確認して、問題なければ進めてください。気になる点があれば、午後の打ち合わせで共有を」
美咲は思わず画面を見直した。
「問題ないかって言われても……」
契約書にサインするのは美咲ではない。 法務担当も別にいる。
それでも、どこが変わったのか、何を確認すべきなのかを整理できなければ、相談すらできない。
美咲は、前回の契約書と改定版を並べた。
ページ数は一つ増えている。 料金の表は似ている。 けれど、一文字ずつ目で追って比べていくのは、現実的ではなかった。
隣の席の佐伯さんが、画面をのぞき込んだ。
「契約書?」
「はい。改定版が来たんです。でも、何が変わったのか分からなくて」
「AIに読ませるのか?」
美咲は少し迷った。
「契約書をそのまま入れていいんでしょうか」
「まず、社内のルールを確認する。外部サービスに入れてよい情報か、契約相手との取り決めはどうか。使える環境なら、AIには“判定”ではなく“比較と質問の整理”を頼む」
佐伯さんは続けた。
「AIに『サインしていい?』と聞くな。責任を取る人に渡すための、確認メモを作らせるんだ」
美咲は、会社で利用を認められているAI環境を開いた。 相手先名、担当者名、金額など、必要のない固有情報は伏せる。
そして、旧版と新版から、比較してよい条項を貼り付けた。
以下は、同じ業務委託契約書の旧版と新版です。
あなたは契約実務を補助するアシスタントとして、法的な結論や署名の可否は判断せず、次の作業だけをしてください。
- 追加・削除・変更された条項を、条項番号ごとに表で整理する
- 変更内容を平易な言葉で要約する
- 当社が確認すべき質問を挙げる
- 「契約期間・自動更新・料金・解約・責任範囲・秘密保持・データの扱い」に関係する変更は目立つように示す
書かれていない内容は推測せず、「本文からは確認できない」と書いてください。
最終的な判断は法務・責任者が行う前提です。
しばらくして、AIが比較表を返してきた。
| 項目 | 旧版 | 新版 | 確認したいこと | | --- | --- | --- | --- | | 契約期間 | 1年間 | 1年間 | 変更なし | | 自動更新 | 記載なし | 満了30日前までに通知がなければ1年更新 | 自動更新を許容するか | | 解約 | 30日前通知 | 原則60日前通知 | 運用上、60日前で問題ないか | | 料金 | 月額固定 | 月額固定+利用量に応じて改定できる旨を追加 | 改定条件・上限はあるか | | 責任範囲 | 直接損害のみ | 間接損害を除く文言を追加 | 障害時の補償範囲は十分か |
美咲は、一つずつ読み直した。
「自動更新、前はなかったんだ」
料金の条項も気になった。 “利用量に応じて改定できる”と書いてあるが、いつ、どのくらい変わるのかは分からない。
AIはさらに、こんな確認質問を出していた。
- 料金改定の事前通知は、何日前ですか?
- 改定額に上限はありますか?
- 中途解約した場合、残期間の利用料は発生しますか?
- システム障害時の連絡窓口・復旧目標・データの復旧条件は、別紙に定められていますか?
美咲は、ここで初めて「何を聞けばいいか」が見えた気がした。
午後の打ち合わせ。 美咲は、契約書そのものを読み上げなかった。
最初に、A4一枚の確認メモを見せた。
今回の改定で、社内判断が必要な点
- 自動更新条項を受け入れるか
- 解約通知を60日前とする運用に問題がないか
- 料金改定の条件・通知時期・上限を確認する
- 障害時の責任範囲とデータ復旧条件を、別紙も含めて確認する
山内部長は、表を読んで顔を上げた。
「これなら、法務にも相談しやすいね。料金改定と解約条件は、先方に確認してから進めよう」
法務の石田さんも言った。
「差分が整理されていると助かります。ただ、ここにない変更がないかは原文で確認します。AIの表は入口として使いましょう」
美咲はうなずいた。
AIの表だけで、契約の安全が保証されるわけではない。 でも、長い文書の中から“判断が必要な場所”を見つける助けにはなる。
帰り際、佐伯さんが声をかけた。
「今日、AIに決めさせなかったのがよかったな」
「はい。サインしていいかを聞くんじゃなくて、確認することを出してもらいました」
「それができれば、相談する人の時間も無駄にしない」
美咲は、先方へ送る質問を見直した。
分からないことを、分からないまま急いで通すのではない。 誰が判断するべきかを明確にして、必要な問いを渡す。
それも、AIと仕事をする力なのだと思った。
美咲AIノート
今日の学び:AIに契約の「比較表」と「確認質問」を作ってもらう
契約書の確認では、AIに署名の可否や法的な結論を決めさせません。
使いどころは、旧版と新版の差分を見つけ、責任者・法務・取引先に確認すべき質問を整理することです。
特に、次の項目に変更がないかを確認します。
- 契約期間と自動更新
- 料金、改定条件、支払い条件
- 解約の期限と費用
- 損害賠償・責任の範囲
- 秘密保持とデータの扱い
- 障害時の連絡、復旧、サポート
使えるプロンプト
以下は同じ契約書の旧版と新版です。
あなたは契約実務を補助するアシスタントとして、法的な結論や署名の可否は判断しないでください。次の作業をしてください。
- 追加・削除・変更された条項を、条項番号ごとに表で整理する
- 変更内容を平易な言葉で要約する
- 当社が法務・責任者・取引先へ確認すべき質問を挙げる
- 契約期間・自動更新・料金・解約・責任範囲・秘密保持・データの扱いに関係する変更を目立つように示す
書かれていないことは推測せず、「本文からは確認できない」と書いてください。
最終判断は法務・責任者が行う前提です。【旧版】
(ここに貼る)【新版】
(ここに貼る)
実務での使い方
- まず、社内ルール上AIへ入力してよい文書か確認する
- 相手先名・金額・個人情報など、不要な固有情報は伏せる
- AIの比較表を原文と照らし、見落としがないか確認する
- 重要な変更は、法務・責任者・取引先への質問に変える
- サインや承認は、権限を持つ担当者が最終判断する
使用時の注意
契約書には、取引先の秘密情報や個人情報が含まれる場合があります。社内で承認された環境以外へ、原文をそのまま入力しないでください。
また、AIの出力は法的助言ではありません。契約条件の解釈や署名の可否は、必ず法務・専門家・権限を持つ責任者へ確認します。
美咲の一歩
分からない文書を前にすると、早く答えを出さなきゃと思っていた。
でも今日は、答えを急ぐ前に、誰に何を確認すべきかを整理できた。
「分からない」を、次の人が判断できる問いに変える。
それなら、私にもできる気がした。
前の話
第12話「出す前に、AIに見てもらう」
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