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黒田室長はAIを教えない 外伝

美咲は今日もAIに話しかける

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AIはエスパーじゃない

『丁寧に』『いい感じに』では伝わらない。目的・相手・条件を具体化して、AIへの頼み方を学ぶ。

読了時間 約27メール・プロンプト

午前十時五分。

営業会議が終わってから、まだ一時間も経っていなかった。

美咲のメールボックスには、すでに新しいメールが七件届いていた。

その中で、一件だけ件名の左側に赤いマークが付いている。

『見積書の再提出について』

送信者は、取引先の相原だった。

美咲はメールを開いた。

『いつもお世話になっております。

先日お送りいただいた見積書について、社内で確認したところ、導入支援費用の内訳が分かりにくいとの意見がありました。

お手数ですが、作業内容ごとの金額が分かる形で、再度ご提出いただけますでしょうか。

また、今週金曜日の社内会議で使用したいため、可能であれば木曜日の午前中までにいただけますと助かります。

よろしくお願いいたします。』

美咲はメールを読み終え、時計を見た。

今日は火曜日だった。

提出期限は木曜日の午前中。

時間はある。

問題は、見積書の内訳を営業部だけでは決められないことだった。

導入支援費用には、営業担当の打ち合わせ費用だけでなく、システム部の設定作業や、企画部の資料作成も含まれている。

それぞれの部署に確認しなければならない。

美咲は返信ボタンを押した。

『承知しました。確認のうえ、改めてご提出いたします。』

そこまで入力して、手を止める。

これだけでは冷たいだろうか。

相手は木曜日の午前中までに欲しいと言っている。

間に合うかどうかも書いた方がいい。

ただ、まだ各部署に確認していない。

木曜日までに出せると断言してよいのか迷った。

美咲は文章を少し足した。

『木曜日の午前中までにお送りできるよう対応いたします。』

また手が止まる。

「できるよう対応します」では、曖昧すぎる気がする。

かといって「必ず送ります」と書いて、間に合わなければ困る。

美咲は文章を全部消した。

もう一度書く。

『ご依頼の件、承知いたしました。

関係部署に確認のうえ、木曜日の午前中を目安に再提出いたします。』

「目安って失礼かな」

独り言が漏れた。

隣の佐伯が振り返った。

「何が?」

「取引先への返信です。木曜日の午前中までに見積書を出してほしいと言われたんですけど、まだ社内確認が終わっていなくて」

「なら、確認してから返せば?」

「でも、先に受け取ったことだけでも返信した方がいいですよね」

「まあね」

「木曜日に出せるとは思うんです。でも、まだ確実ではなくて」

佐伯は美咲の画面を見た。

「とりあえず、木曜日を目標にしますって書けば?」

「『目標にします』で大丈夫ですか」

「たぶん」

「たぶん……」

佐伯はすぐに自分の画面へ戻った。

美咲は返信文を見つめた。

メールは短い。

議事録より簡単なはずだった。

しかし、相手にどう受け取られるかを考え始めると、なかなか送れない。

冷たすぎないか。

頼りなく見えないか。

約束しすぎていないか。

相手の希望を無視していないか。

五行ほどの文章を、すでに十分以上直していた。

そのとき、昨日使ったAIチャットのタブが目に入った。

「そうだ」

美咲は新しい会話を開いた。

昨日、議事録を一緒に作ったことで、AIへの警戒心は少し薄れていた。

メール文くらいなら、もっと簡単に作れるかもしれない。

入力欄に書く。

『取引先への返信メールを作ってください。』

送信する。

すぐに返事が表示された。

『もちろんです。どのような内容への返信でしょうか。相手からのメール内容や、伝えたいことを教えてください。』

美咲は相手のメールをそのまま貼り付けようとして、昨日のことを思い出した。

会社名や担当者名は伏せる。

具体的な案件名も一般的な表現に変える。

そして、次のように入力した。

『取引先から、見積書の内訳が分かりにくいので再提出してほしいと連絡がありました。

木曜日の午前中までに欲しいと言われています。

関係部署に確認が必要ですが、たぶん間に合います。

丁寧な返信メールを作ってください。』

AIの回答が始まった。

『いつも大変お世話になっております。

このたびは、お見積書の内容が分かりにくく、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。

ご指摘いただきました導入支援費用の内訳につきまして、関係部署と確認のうえ、作業内容ごとの金額が分かる形に修正いたします。

木曜日の午前中までに必ず再提出いたしますので、今しばらくお待ちくださいますようお願い申し上げます。

何卒よろしくお願いいたします。』

美咲は文章を読み、少し安心した。

「やっぱり丁寧だ」

自分では思いつかないような言い回しが並んでいる。

そのままコピーしようとして、手が止まった。

『ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません』

そこまで謝る必要があるのだろうか。

相手は、見積書が間違っているとは言っていない。

内訳を詳しくしてほしいと言っているだけだった。

さらに、その下にはこう書かれている。

『木曜日の午前中までに必ず再提出いたします』

まだ関係部署への確認は終わっていない。

美咲は「たぶん間に合う」と書いた。

それをAIは「必ず再提出する」に変えていた。

「そこまで言ってないんだけど」

美咲は入力した。

『少し謝りすぎです。また、木曜日の午前中に必ず出せるとは確定していません。修正してください。』

AIはすぐに書き直した。

『いつもお世話になっております。

見積書の内訳について、ご確認いただきありがとうございます。

ご依頼の内容につきまして、関係部署と確認のうえ、作業内容ごとの金額が分かる形に修正いたします。

木曜日の午前中までの再提出を予定しておりますが、確認状況によっては改めてご連絡させていただく場合がございます。

何卒よろしくお願いいたします。』

美咲は首をかしげた。

先ほどよりは正確だった。

しかし、今度は少し頼りなく感じる。

『確認状況によっては改めてご連絡させていただく場合がございます』

この一文を読むと、間に合わない可能性が高いようにも見える。

美咲が伝えたいのは、木曜日に向けて進めるということだった。

ただし、現時点では断言しない。

その微妙な距離感が欲しかった。

「丁寧に、だけじゃ足りないのかな」

美咲は椅子にもたれた。

昨日は議事録の形式を具体的に伝えることで、AIの答えが変わった。

メールも同じなのだろうか。

何を入れればいいのか。

何を伝えればいいのか。

美咲は考えた。

相手に伝えたいことは三つあった。

依頼を受け取ったこと。

内訳を整理して再提出すること。

木曜日の午前中に間に合わせる方向で進めること。

そして、確定ではないことを強く出しすぎたくない。

美咲は新しく入力した。

『次の条件で書き直してください。

・依頼を受け取ったことを伝える ・見積書の内訳を整理して再提出する ・木曜日の午前中に間に合わせる方向で進める ・まだ社内確認前なので、「必ず」とは書かない ・相手を不安にさせる表現は避ける ・必要以上に謝らない ・100文字から150文字程度 ・やわらかく、仕事が早そうに見える文面』

送信。

AIの回答が表示された。

『いつもお世話になっております。

見積書の内訳について、承知いたしました。

関係部署に確認のうえ、作業内容ごとの金額が分かる形に整理し、木曜日の午前中の再提出に向けて進めてまいります。

確認が整い次第、改めてお送りいたします。

よろしくお願いいたします。』

美咲は読み終え、うなずいた。

「これならいいかも」

ただ、一つ気になる。

『確認が整い次第、改めてお送りいたします』

その前にすでに「再提出に向けて進める」と書いているので、少し重複している。

美咲は続けて入力した。

『最後の一文が少し重複しています。もっと自然にしてください。』

修正版が出る。

『いつもお世話になっております。

見積書の内訳について、承知いたしました。

関係部署に確認のうえ、作業内容ごとの金額が分かる形に整理し、木曜日の午前中の再提出に向けて対応いたします。

準備ができ次第、お送りいたします。

よろしくお願いいたします。』

今度は自然だった。

美咲は文章をコピーした。

メールの返信欄へ貼り付ける。

そのまま送信しようとして、もう一度読み返した。

『木曜日の午前中の再提出に向けて対応いたします』

少しだけ硬い。

でも、取引先へのメールとしては問題ない。

美咲は送信ボタンを押した。

「やっと送れた」

時計を見る。

AIを使い始めてから、十五分ほど経っていた。

普通に考えれば、自分で書いた方が早かったかもしれない。

けれど、昨日と違い、今日はAIに何を伝えれば答えが変わるのか、少し分かった。

「丁寧に、だけじゃ駄目なんだ」

美咲は小さくつぶやいた。

その直後、社内チャットに通知が来た。

システム部の大橋からだった。

『見積書の件ですが、作業内容をどの単位まで分ければよいでしょうか。設定作業、動作確認、操作説明くらいでよいですか?』

美咲はすぐに返信しようとした。

『はい、それでお願いします。』

入力した後、少し迷う。

取引先は作業内容ごとの金額を知りたいと言っていた。

設定作業、動作確認、操作説明。

それで十分なのだろうか。

美咲は相手のメールを読み返した。

『導入支援費用の内訳が分かりにくい』

具体的にどこまで分けてほしいかは書かれていない。

大橋に任せてよいのか。

それとも、取引先へ確認した方がよいのか。

美咲は佐伯に聞いた。

「見積書の内訳って、どのくらい細かく分ければいいと思いますか」

「案件によるんじゃない?」

「相手は、作業内容ごとの金額が分かる形にしてほしいと言っています」

「じゃあ、作業内容ごとでいいんじゃない?」

「その作業内容が、どのくらい細かいのかが分からなくて」

佐伯は少し考えた。

「前回の見積書は?」

「導入支援費用でまとめてあります」

「なら、三つか四つに分ければ十分じゃない?」

「大丈夫ですかね」

「たぶん」

また、たぶんだった。

美咲はチャットに『設定作業、動作確認、操作説明でお願いします』と入力した。

送信前に手を止める。

自分も、相手が何を求めているのかを推測している。

もし取引先が、訪問回数や作業時間まで知りたいと思っていたら、また修正になるかもしれない。

美咲は相手へ確認メールを送ることにした。

しかし、先ほど返信したばかりだった。

立て続けに質問すると、頼りなく見えないだろうか。

またAIチャットを開く。

『取引先へ、見積書の内訳をどの程度細かくすればよいか確認するメールを作ってください。丁寧にしてください。』

送信する。

回答が表示された。

『いつも大変お世話になっております。

先ほどご連絡いただきました見積書の内訳について、確認させていただきたくご連絡いたしました。

導入支援費用につきまして、設定作業、動作確認、操作説明などの作業内容ごとに分けた形で問題ございませんでしょうか。

また、作業時間や訪問回数など、さらに詳細な内訳が必要でしたらお申し付けください。

お忙しいところ恐れ入りますが、ご確認のほどよろしくお願いいたします。』

美咲は読んだ。

悪くない。

しかし、先ほどメールを送った直後に、また長いメールを送るのは少し大げさだった。

『もう少し短くしてください。』

AIが修正する。

『いつもお世話になっております。

見積書の内訳について、一点確認させてください。

設定作業、動作確認、操作説明など、作業内容ごとの記載でよろしいでしょうか。

さらに詳細な内訳が必要な場合は、お知らせいただけますと幸いです。

よろしくお願いいたします。』

美咲はまだ迷った。

丁寧ではある。

しかし、「一点確認させてください」と言いながら、実際には二つ尋ねているようにも見える。

さらに、相手に判断を委ねすぎている気がした。

どの程度の回答が欲しいのかを、AIに伝えていない。

美咲は入力した。

『次の条件にしてください。

・先ほど返信した直後なので、追加確認として自然にする ・相手に手間をかけさせない ・こちらから「設定作業、動作確認、操作説明の3項目で作成予定」と提案する ・もっと細かい内訳が必要な場合だけ知らせてもらう ・簡潔にする』

回答が出る。

『続けてのご連絡失礼いたします。

見積書の内訳は、「設定作業」「動作確認」「操作説明」の三項目に分けて作成する予定です。

より詳細な記載が必要な場合のみ、お知らせいただけますと幸いです。

よろしくお願いいたします。』

「これだ」

美咲はすぐにコピーした。

取引先へ送信する。

そして大橋には、まだ確定ではないことを伝えた。

『現在、設定作業・動作確認・操作説明の三項目で先方へ確認しています。先方から追加の希望がなければ、この形でお願いします。』

大橋から、すぐにスタンプ付きの返信が来た。

『了解です』

美咲は一息ついた。

今度は、自分が先に案を出した。

相手に「どうしますか」と丸投げせず、「この形で進めます。違う場合だけ教えてください」と伝えた。

同じ確認でも、相手の負担は少ない。

AIが文章を作ってくれたというより、AIとのやり取りを通じて、美咲自身の考えが整理された。

午前十一時。

プロジェクト定例会が始まった。

美咲は昨日学んだ通り、ノートを三つに分けた。

決定事項。

未決事項。

やること。

会議が始まって二十分ほど経ったころ、企画部の社員が言った。

「新しい案内資料ですが、来週前半までに初稿を作りたいと思っています」

美咲は『企画部、来週前半、案内資料初稿』と書いた。

次に営業部長が言う。

「できれば月曜日に欲しいですね」

企画部の社員が答えた。

「月曜日は少し厳しいかもしれません」

「では、火曜日まででどうですか」

「火曜日なら対応できます」

美咲はメモを書き直した。

『案内資料初稿 担当:企画部 期限:火曜日』

昨日なら、会話を全部書いていただろう。

今日は、最終的に決まった内容だけを書いた。

少し余裕ができた。

会議の流れも追えている。

そのとき、黒田が美咲のノートに目を向けた。

何も言わなかった。

ただ、わずかにうなずいたように見えた。

会議終了後、美咲は十五分で議事録をまとめた。

昨日よりさらに早かった。

自席へ戻ると、取引先の相原から返信が届いていた。

『ご連絡ありがとうございます。

ご提示いただいた三項目で問題ございません。

可能であれば、操作説明については実施時間も記載いただけますと助かります。

よろしくお願いいたします。』

美咲はメールを読み、すぐに大橋へ連絡した。

『先方から、操作説明については実施時間も記載してほしいとのことです。三項目の内訳に加えて、操作説明の予定時間をお願いします。』

大橋から返信が来る。

『承知しました。今日中に送ります』

これで見積書の修正に必要な情報がそろう。

最初から取引先の希望を確認せずに進めていたら、完成後にまた修正が必要だったかもしれない。

美咲は、先ほどのAIとのやり取りを思い返した。

「丁寧にしてください」

「短くしてください」

それだけでもAIは文章を作ってくれた。

けれど、美咲が欲しい文章にはならなかった。

丁寧にも、いろいろある。

謝罪を強くする丁寧さ。

柔らかい丁寧さ。

距離を保つ丁寧さ。

相手を不安にさせない丁寧さ。

簡潔さにも、いろいろある。

文字数を減らすのか。

要点だけにするのか。

説明を省くのか。

相手の負担を減らすのか。

AIが間違っていたわけではない。

「丁寧に」の意味を、美咲が伝えていなかった。

「何か考え事ですか」

黒田の声がした。

美咲が顔を上げると、黒田が机の前に立っていた。

「メールをAIに作ってもらっていました」

「そうですか」

「でも、最初はうまくいきませんでした」

「何と頼んだんですか」

「丁寧な返信メールを作ってください、と」

黒田は少し考えた。

「丁寧とは、何ですか」

美咲は答えに詰まった。

「失礼がないこと、ですかね」

「謝ることですか」

「それだけではないです」

「文章を長くすることですか」

「違います」

「敬語を増やすことですか」

「それも違うと思います」

黒田は、美咲の画面に表示されたメール文を見た。

「では、何ですか」

美咲は今日、自分がAIに伝えた条件を思い出した。

依頼を受け取ったことを伝える。

木曜日に向けて進める。

断言しない。

相手を不安にさせない。

必要以上に謝らない。

仕事が早そうに見える。

「相手に、こちらの状況と次の行動が伝わって、不安にさせないことです」

黒田はうなずいた。

「それなら、それを伝えればいい」

「AIにですか」

「相手にも、AIにも」

黒田は続けた。

「言葉の意味は、人によって違います」

「はい」

「丁寧に」

「分かりやすく」

「いい感じに」

「短く」

「かっこよく」

黒田は一つずつ挙げた。

「どれも、便利な言葉です」

「でも、曖昧ですね」

「曖昧な言葉を使うことが悪いわけではありません」

「では、何が悪いんですか」

「相手も同じ意味で受け取ると思い込むことです」

美咲はAIとの最初のやり取りを思い出した。

AIは「丁寧に」を、強い謝罪と確実な約束に変えた。

美咲の考える丁寧さとは違った。

「AIは、私の気持ちを分かってくれないんですね」

「人間は分かってくれるんですか」

黒田に聞き返され、美咲は黙った。

佐伯に相談したときも、「たぶん」としか返ってこなかった。

相手が人間でも、説明しなければ伝わらない。

「AIだけの問題ではないんですね」

「そうです」

黒田は自分の腕時計を見た。

「AIは、曖昧な指示でも何かを返してくれます」

「はい」

「それが厄介なんです」

「厄介?」

「人なら、『どういう意味ですか』と聞き返すことがあります」

「AIも聞き返すことがありますよ」

「聞かずに、もっともらしい答えを出すこともあります」

美咲はうなずいた。

「答えが返ってきたから、伝わったと思ってしまいます」

「そうです」

黒田は静かに言った。

「AIはエスパーではありません」

美咲は少し笑った。

「タイトルみたいですね」

「何のタイトルですか」

「いえ、何でもないです」

黒田は不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。

「具体的に伝えると、仕事が増えたように感じるかもしれません」

「実際、条件をたくさん書きました」

「でも、その条件を考えることが仕事です」

「また、考えるのは人の仕事ですか」

「はい」

「便利な言葉ですね」

「そうですね」

黒田はわずかに笑った。

「AIに詳しくなくても、良い依頼はできます」

「プロンプトの知識がなくてもですか」

「相手に仕事を頼むとき、何を伝えますか」

美咲は考えた。

目的。

期限。

相手。

必要な内容。

注意点。

完成した形。

「普通の仕事の頼み方と同じですね」

「AIだけに使う特別な魔法の言葉ではありません」

黒田はそう言って、自分の席へ戻っていった。

美咲はノートを開いた。

今日のページに、新しい見出しを書く。

『AIへ伝えること』

その下に、思いついた内容を書いた。

何のために使うのか。

誰に見せるのか。

何を伝えたいのか。

何を避けたいのか。

どのくらいの長さか。

どんな印象にしたいのか。

完成形は何か。

書き終えたところで、メールの通知が来た。

大橋から、見積書の内訳が届いた。

設定作業。

動作確認。

操作説明。

操作説明の予定時間。

必要な情報はそろっていた。

美咲は見積書を修正し、上司へ確認を依頼した。

山内は数字を確認した後、言った。

「これなら先方も分かりやすいと思います。木曜日を待たずに、今日送っていいですよ」

「今日ですか」

「早い方がいいでしょう」

「分かりました」

美咲は取引先への送付メールを作ろうとした。

今度は、いきなりAIに「丁寧に」とは書かなかった。

まず、自分が伝えたい内容を整理する。

見積書を修正したこと。

依頼された内訳を反映したこと。

操作説明の時間も記載したこと。

確認してほしいこと。

追加修正があれば対応すること。

そのうえでAIへ入力した。

『取引先へ、修正版の見積書を送るメールを作ってください。

目的は、依頼された内訳を反映したことを簡潔に伝え、安心して確認してもらうことです。

次の内容を含めてください。

・見積書を修正した ・導入支援費用を「設定作業」「動作確認」「操作説明」に分けた ・操作説明の予定時間も記載した ・添付内容を確認してほしい ・追加の希望があれば対応する

謝罪は不要です。

100文字から150文字程度で、簡潔で柔らかい取引先向けメールにしてください。』

AIが文章を作る。

『いつもお世話になっております。

ご依頼いただいた内容を反映し、見積書を修正いたしました。

導入支援費用を「設定作業」「動作確認」「操作説明」に分け、操作説明の予定時間も記載しております。

添付をご確認いただき、追加のご希望がございましたらお知らせください。

よろしくお願いいたします。』

美咲は一度だけ読み返した。

内容に問題はない。

余計な謝罪も、強すぎる約束もない。

何度も修正する必要もなかった。

美咲は見積書を添付し、送信した。

朝から悩んでいた仕事が、予定より二日早く終わった。

それだけではない。

相手がどこまでの内訳を求めているかも確認できた。

社内の作業も、やり直しにならずに済んだ。

美咲はAIチャットの画面を閉じた。

昨日は、議事録を作るためにAIへ話しかけた。

今日は、メールを作るために話しかけた。

でも、少しだけ違う。

昨日は、AIに答えを求めていた。

今日は、答えを出すための条件を一緒に整理した。

AIへ具体的に伝えようとすると、自分が何をしたいのかも明確になる。

それは、メール以外の仕事にも使える気がした。

午後五時四十分。

美咲は今日最後のメールを送信し、予定表を確認した。

明日は、午後から新規顧客向けの提案資料を作ることになっている。

タイトルと会社名だけが入った、真っ白なPowerPointが共有フォルダに置かれていた。

資料の提出期限は、金曜日。

美咲はファイルを開いた。

一枚目には、仮のタイトルだけが書かれている。

『業務効率化システム導入のご提案』

二枚目以降は、何もない。

美咲は画面を見つめた。

メールなら数行で終わる。

議事録なら、元になる会議メモがある。

しかし、提案資料は違う。

何を入れるか。

どんな順番にするか。

どこから考えればいいのか。

すべて自分で決めなければならない。

「これは、さすがに難しいかも」

美咲は小さくつぶやいた。

AIの入力欄を開く。

そして、少し考えてから書いた。

『提案資料を作りたいです。』

そこまで入力し、手を止める。

今日の自分なら分かる。

これだけでは足りない。

何のための資料なのか。

誰に見せるのか。

何を提案するのか。

相手にどう思ってほしいのか。

美咲は一度、文章を全部消した。

明日、改めて考えることにした。

AIはエスパーではない。

でも、伝えるべきことさえ分かれば、きっと力になってくれる。

美咲はパソコンを閉じた。

今日も一つだけ、AIへの話しかけ方を覚えた。

美咲AIノート

今日のひとこと

「丁寧に」「分かりやすく」「いい感じに」だけでは、AIと自分が同じ完成形を見ているとは限らない。

今日、美咲が覚えたこと

AIに曖昧な指示を出しても、何らかの答えは返ってくる。

しかし、答えが返ってきたことと、自分の意図が伝わったことは同じではない。

特に、次のような言葉は人によって意味が変わる。

・丁寧に

・短く

・分かりやすく

・柔らかく

・自然に

・いい感じに

・かっこよく

・プロっぽく

これらの言葉を使う場合は、「自分にとって、それがどのような状態なのか」も伝える。

美咲の最初の頼み方

『取引先への返信メールを作ってください。

丁寧にしてください。』

この依頼でも、AIは丁寧な文章を作った。

しかし、美咲が必要としていない強い謝罪や、確定していない納期の約束まで含まれていた。

AIは、美咲の考える「丁寧さ」を知らなかった。

改善したプロンプト

あなたは、法人営業のメール作成を支援する担当者です。

取引先から、見積書の内訳を整理して再提出してほしいと連絡がありました。

次の条件で返信メールを作成してください。

【メールの目的】

依頼を受け取ったことを伝え、安心して待ってもらう。

【伝える内容】

・依頼内容を確認した

・関係部署に確認する

・作業内容ごとの金額が分かる形に修正する

・木曜日の午前中の再提出に向けて進める

【避ける表現】

・「必ず提出します」など、未確定な約束

・必要以上に強い謝罪

・相手を不安にさせる表現

【文面の条件】

・取引先向け

・簡潔で柔らかい

・仕事が早く、誠実に見える

・100文字から150文字程度

・件名は不要

AIへ仕事を頼むときの七項目

一、目的

この文章を何のために使うのか。

二、相手

誰が読むのか。

三、伝える内容

必ず入れたい事実は何か。

四、避けたいこと

書いてほしくない内容や表現は何か。

五、形式

メール、箇条書き、表、資料、報告書など、どの形にするのか。

六、長さ

何文字、何行、何分で読める量にするのか。

七、印象

相手にどのように受け取ってほしいのか。

すべてを毎回書く必要はない。

ただし、AIの回答が思ったものと違った場合は、この七項目のどれが足りなかったかを確認する。

使用時の注意

AIが作ったメールは、送信前に必ず次の点を確認する。

・事実と異なる内容がないか

・約束していないことを約束していないか

・必要以上に謝っていないか

・日付や曜日に間違いがないか

・添付すると書いているのに、添付を忘れていないか

・相手の名前や会社名が正しいか

・社内情報を不用意に入力していないか

AIが自然な文章を作ったとしても、内容の責任は送信する人にある。

美咲の一歩

今日は、AIに「丁寧なメール」を作ってもらおうとした。

でも、私の考える丁寧さと、AIが作った丁寧さは違っていた。

AIが間違っていたわけではない。

私が、何を丁寧だと思っているのかを伝えていなかった。

人に仕事を頼むときも、同じなのかもしれない。

「分かりやすくして」

「早めにお願い」

「いい感じにまとめて」

便利だから、つい使ってしまう。

でも、その言葉の意味は、私と相手で同じとは限らない。

AIに具体的に伝えようとすると、自分の考えも整理される。

何を伝えたいのか。

何を避けたいのか。

相手にどう思ってほしいのか。

AIに話しかけていたはずなのに、私は自分自身に質問していた。

AIは、私の気持ちを読んではくれない。

でも、私が言葉にしたことなら、一緒に形にしてくれる。

明日は、真っ白な提案資料について話しかけてみよう。

前の話

第1話「議事録は、会議中には完成しない」

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第3話「提案書が真っ白」