午後4時37分。
美咲の受信トレイに、一通のメールが届いた。
件名は、
「明日の打ち合わせ資料」
送信者は部長。
嫌な予感がした。
メールを開く。
美咲さん
明日10時から先方との打ち合わせがあります。
添付資料に目を通して、論点を整理しておいてください。
「はいはい、資料ね」
添付ファイルを開く。
美咲の手が止まった。
全68ページ。
「…………」
画面右下の時計を見る。
16:38。
もう一度PDFを見る。
68ページ。
時計を見る。
16:38。
「増えてない……」
当たり前である。
美咲はPDFをスクロールした。
市場環境。
サービス概要。
導入実績。
料金体系。
システム構成。
セキュリティ。
サポート体制。
契約条件。
参考資料。
文字。
表。
グラフ。
また文字。
「これ……全部読まないとダメですか?」
もちろん、PDFは答えてくれない。
美咲は少し考えてから、AIを開いた。
「とりあえず要約して」
美咲はPDFを読み込ませ、入力した。
この資料を要約してください。
数秒後。
AIが答えた。
本資料は、法人向けクラウドサービスの概要、導入メリット、機能、料金体系、セキュリティ、導入事例などについて説明した資料です。
主な特徴として……
「おお」
美咲は読み進める。
機能の説明。
導入メリット。
市場背景。
セキュリティ。
導入事例。
料金。
確かに短くなっている。
68ページが、画面数スクロール分になった。
「便利じゃん」
そのとき。
後ろから声がした。
「で、何が分かった?」
黒田室長だった。
「うわっ」
「人を幽霊みたいに言うな」
美咲はAIの回答を指差した。
「見てください。68ページの資料をAIに要約してもらいました」
黒田は画面を見る。
「で?」
「で?」
「明日の打ち合わせで、何を確認する?」
「……」
「この会社の提案で、一番気になるところは?」
「……」
「うちが導入するとしたら、問題になりそうなのは?」
「…………」
美咲はAIの回答を見る。
ちゃんと要約されている。
なのに。
質問されると答えられない。
「要約は……されています」
「そうだな」
「でも、なんか……」
黒田が言った。
「それは資料を短くしただけだ」
要約すれば、理解したことになる?
黒田は美咲の隣の椅子を引いた。
「68ページを10ページ相当に縮めたら、仕事が終わるのか?」
「終わってほしいです」
「願望は聞いてない」
「ですよね」
黒田はPDFを開いた。
「そもそも、明日の打ち合わせの目的は?」
美咲は予定表を確認する。
「このサービスを、うちの営業部門に導入するか検討するための打ち合わせです」
「じゃあ、資料から何を知りたい?」
「えーっと……」
美咲は考えた。
「まず、費用」
「うん」
「本当に必要な機能があるか」
「うん」
「導入にどれくらい時間がかかるか」
「他には?」
「セキュリティ……あと、サポートとか」
「それだ」
黒田が言った。
「それ?」
「お前が今やったのが、資料を読む前にやることだ」
美咲は首をかしげた。
AIに読ませる前に、人間が決めること
黒田はホワイトボードに書いた。
この資料から、何を知りたいのか?
「AIに『要約して』とだけ言えば、AIは資料全体をそれなりに短くする」
「はい」
「でもAIは、美咲が明日何を判断しなきゃいけないのか知らない」
「確かに」
「営業資料を読む目的が、サービスの紹介記事を書くことなら、機能や特徴を詳しく拾えばいい」
黒田は続けた。
「導入を判断するために読むなら?」
「価格とか、導入期間とか、リスクとか……」
「そう。読む場所が変わる」
美咲はもう一度68ページのPDFを見た。
同じ資料でも、
何のために読むかで、重要なページが変わる。
「じゃあ……AIに要約させるんじゃなくて」
美咲は入力欄を開いた。
「知りたいことを指定する?」
「やってみろ」
美咲、AIに「読む目的」を渡す
美咲は入力した。
この資料は、当社の営業部門へのサービス導入を検討するために読んでいます。
次の観点で整理してください。
- このサービスで何ができるのか
- 導入費用・月額費用などのコスト
- 導入までに必要な期間と作業
- セキュリティ上の確認事項
- サポート体制
- 導入によって期待できる効果
- 導入前に確認すべきリスク・不明点
各項目について、資料に記載されている内容を整理してください。
資料に記載がないものは推測せず、「記載なし」としてください。
また、根拠となるページも示してください。
AIが回答を作り始めた。
美咲は画面を見る。
さっきとは全然違った。
導入費用
初期費用。
月額料金。
オプション費用。
ただし、利用人数による追加料金については記載なし。
導入期間
標準導入期間は約1〜2か月。
ただし、既存システムとの連携が必要な場合の期間は明記されていない。
セキュリティ
暗号化。
アクセス制御。
ログ管理。
一方で、自社のセキュリティ基準との適合については確認が必要。
美咲の目つきが変わった。
「これ……」
黒田が言う。
「どうした」
「明日聞くことが見えてきました」
「書いてあること」より「書いてないこと」
美咲はさらにAIへ入力した。
この資料だけでは判断できない点を抽出してください。
特に、導入判断に影響する可能性が高いものを優先してください。
AIが整理する。
美咲は読みながらメモを取った。
確認事項
・利用人数が増えた場合の料金体系
・既存CRMとの連携可否
・データ移行費用
・障害発生時のサポート時間
・解約時のデータ出力方法
・導入後の最低契約期間
「……あれ?」
美咲が言った。
「こっちの方が大事じゃないですか?」
黒田が笑った。
「気づいたか」
資料には、たくさんのことが書いてある。
しかし、意思決定では、
書いていないことが重要になる場合がある。
美咲は最初、68ページを全部理解しようとしていた。
でも本当に必要だったのは、
明日の判断に必要な情報を集めること。
そして、
判断できない部分を見つけること。
だった。
重要な数字だけ抜き出す
「もう一つやってみろ」
黒田が言った。
「数字だけ拾わせる」
「数字?」
「長い資料ほど、文章に埋もれて重要な数字を見落とす」
美咲は入力した。
この資料に記載されている数値情報のうち、導入判断に関係するものを一覧にしてください。
「項目 / 数値 / 意味 / 出典ページ」の形式で整理してください。
数値の意味を推測しないでください。
AIが表を作った。
初期費用。
月額費用。
導入期間。
導入企業数。
稼働率。
サポート時間。
保存期間。
美咲は表を眺める。
「これなら、数字だけ先に確認できますね」
「そう」
黒田が言った。
「長い資料を最初から最後まで同じ濃さで読む必要はない」
AIが言っているから正しい?
美咲はかなり満足していた。
「じゃあ、これをそのまま明日の資料に……」
「待て」
黒田が止めた。
「また何かあります?」
「重要な数字は原文を確認しろ」
「え」
「AIが『月額5万円』と言ったら、PDFの該当ページを見る」
「AIにページまで出してもらってるのに?」
「だから確認が速くなるんだろ」
美咲は納得した。
AIに資料を読ませる。
重要箇所を見つけてもらう。
そして、
重要な部分だけ人間が原文を確認する。
「全部AIを信用するんじゃなくて……」
「全部人間で読むんでもない」
黒田が言った。
「確認すべき場所をAIに絞らせる」
美咲は該当ページを開いた。
料金表。
確かにAIが抽出した数字が書かれている。
次のページ。
導入期間。
これも合っている。
セキュリティ。
ここは少し表現が違ったので、美咲は自分のメモを修正した。
68ページが「読む順番」に変わる
美咲は最後にAIへ頼んだ。
明日の打ち合わせに向けて、この資料を読む優先順位をつけてください。
A:必ず原文を確認する
B:概要だけ確認する
C:必要になった場合に確認するの3段階に分け、理由とページ番号を示してください。
回答が出る。
美咲は思わず言った。
「これだ」
68ページあった資料が、
A:必ず読むページ 11ページ
B:概要を確認するページ 18ページ
C:必要なときだけ見るページ 39ページ
に変わった。
資料そのものが短くなったわけではない。
でも、
読む順番ができた。
美咲はAに分類されたページから読み始める。
さっきまでの、
「68ページ読まなきゃ」
という重さがない。
何を確認するために読むのか分かっているからだ。
翌朝 9時42分
美咲は会議室に向かう前に、自分のメモを確認した。
今日確認すること
1.費用
利用人数増加時の追加料金は?
2.導入
既存CRMとの連携を含めても1〜2か月で可能?
3.データ移行
移行作業は料金に含まれる?
4.サポート
夜間・休日の障害対応は?
5.契約
最低利用期間と解約条件は?
昨日までなら、
「資料には一通り目を通しました」
で終わっていたかもしれない。
今日は違う。
聞くことがある。
美咲が席を立つ。
黒田が通りかかった。
「読んだか?」
「68ページ全部は読んでません」
美咲は答えた。
「でも、必要なところは読みました」
黒田は少しだけ笑った。
「それでいい」
美咲は会議室へ向かう。
そして途中で振り返った。
「室長」
「なんだ」
「AIって、長い資料を読むためのものだと思ってました」
「違ったか?」
「読む前に、何を読むべきか考えるためにも使えるんですね」
黒田は答えた。
「AIに読ませる前に、自分が何を知りたいのか決めろ」
「はい」
「目的がない要約は、短くなっただけの資料だ」
美咲は少し考えて、
「……それ、今日の黒田noteに書きます?」
「書かない」
「じゃあ私がもらいます」
「勝手にしろ」
美咲は笑って、会議室のドアを開けた。
MISAKI AI NOTE 06
AIは“読む代行”ではなく、“読む順番を作る相手”
長いPDFや資料を渡されたとき、
いきなり、
「要約してください」
だけで終わらせない。
まず決める。
私は、この資料から何を知りたいのか?
今回、美咲が使った考え方は5つ。
① 資料を読む目的をAIに伝える
「導入を判断したい」
「会議の準備をしたい」
「リスクを確認したい」
目的によって、重要な情報は変わる。
② 知りたい項目を指定する
価格、機能、導入期間、セキュリティ、サポートなど、判断基準を先に渡す。
③ 「書いていないこと」も探させる
資料に書かれている情報だけではなく、意思決定に必要なのに記載されていない情報を抽出する。
④ 重要な数字には根拠を付ける
ページ番号や該当箇所を出してもらい、重要な数字は原文で確認する。
⑤ 読む優先順位を作る
全部を同じ濃さで読むのではなく、
A:必ず原文確認
B:概要確認
C:必要時のみ
に分ける。
AIに全部任せるのでもない。
人間が全部読むのでもない。
AIに「どこを見るべきか」を整理してもらい、人間は重要なところを読む。
それだけで、長い資料との付き合い方はかなり変わる。
今日、美咲がAIに話しかけたこと
この資料は、明日の打ち合わせで導入可否を検討するために読んでいます。
まず、
・結論
・重要な数字
・導入判断に必要な情報
・リスク
・資料だけでは判断できない点
・明日の打ち合わせで確認すべきこと
を整理してください。重要な情報には根拠となるページを示してください。
資料に記載されていない内容は推測せず、「記載なし」としてください。最後に、この資料を
A:必ず原文を確認する
B:概要だけ確認する
C:必要になった場合に確認する
の3段階に分け、読む優先順位を作ってください。
AIに「全部読んで」と頼む前に、
「私は何を知りたい?」を決める。
それが今回の美咲の一歩。
美咲は今日も、AIに話しかける。
前の話
第5話「で、結局どれがいいんですか?」
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第7話「何を聞かれるんだろう……」