THINKLAB
シリーズ目次を開く

黒田室長はAIを教えない

AI時代に一番大切な仕事の教科書

第10章

答えを急ぐ人

速さばかりを求めると、見落としてしまうものがある。

読了時間 約10分公開日 2026年7月22日
  • 速さ
  • 判断
  • 急ぐ

十二月中旬。

営業部に一本の電話が入った。

営業部員 — 「佐藤さん、お客様からです。」

受話器を取る。

先日契約した製造業の社長だった。

社長 — 「佐藤さん。」

社長 — 「少し相談があるんです。」

導入したシステムが思うように現場へ定着しないという。

機能は問題ない。

操作も難しくない。

それでも使われない。

社長 — 「一度、現場を見てもらえませんか。」

美咲は翌日の訪問を約束した。

翌日。

工場へ到着すると、現場は静かだった。

機械は動いている。

しかし、システムの画面は誰も開いていない。

紙の帳票だけが机に積まれていた。

工場長が苦笑する。

工場長 — 「結局、昔のやり方が一番早いって言うんですよ。」

美咲は頷きながらメモを取る。

説明不足だったのか。

操作が難しかったのか。

頭の中で原因を探し始める。

その時だった。

ふと黒田の声が浮かぶ。

「事実から始める。」

美咲はペンを止めた。

原因を考える前に、現場を歩いた。

若手社員が紙へ手書きしている。

ベテランは画面を一度だけ開いて閉じた。

誰も文句は言わない。

でも、誰も使わない。

昼休み。

美咲はベテラン社員へ声を掛けた。

佐藤美咲 — 「少しお話を聞いてもいいですか。」

男性は照れくさそうに笑った。

ベテラン社員 — 「いいですよ。」

美咲は質問した。

佐藤美咲 — 「システムのどこが使いにくいですか?」

男性は首を振る。

ベテラン社員 — 「使いにくくはないです。」

佐藤美咲 — 「じゃあ、どうして紙を?」

少し沈黙が流れた。

やがて男性はゆっくり答えた。

ベテラン社員 — 「……紙だと。」

ベテラン社員 — 「隣の人が見えるんです。」

美咲は聞き返した。

佐藤美咲 — 「見える?」

ベテラン社員 — 「困ってるのが分かるんですよ。」

ベテラン社員 — 「画面になると。」

ベテラン社員 — 「みんな自分だけ見ちゃう。」

ベテラン社員 — 「だから。」

ベテラン社員 — 「話さなくなった。」

その言葉に、美咲は息をのんだ。

問題はシステムではなかった。

コミュニケーションだった。

会社へ戻る車の中。

美咲は運転しながら考えていた。

AIも。

システムも。

便利な道具だ。

でも。

便利になれば、人は自然につながる。

そう思っていた自分がいた。

違った。

便利になるほど、

人は意識して話さなければならない。

翌朝。

営業部。

美咲は黒田へ昨日の出来事を話した。

最後まで黙って聞いていた黒田は、静かにコーヒーを口へ運ぶ。

黒田 — 「どう思った?」

美咲は少し考えた。

佐藤美咲 — 「システムを売ったつもりでした。」

佐藤美咲 — 「でも。」

佐藤美咲 — 「本当に届けるべきだったのは。」

言葉が自然に出てくる。

佐藤美咲 — 「働き方だったんです。」

黒田は小さく笑った。

黒田 — 「いいね。」

それ以上は何も言わない。

美咲はもう、続きを聞かなかった。

黒田が答えを持っていることは知っている。

でも今は、

自分の中にある答えを育てたいと思った。

午後。

営業部ではレビュー会が開かれていた。

七海が作った提案書を前に、全員が席に着く。

少し前なら、美咲は赤ペンを持っていただろう。

今日は違う。

資料を閉じる。

そして七海を見る。

佐藤美咲 — 「最初に聞いてもいい?」

七海は少し緊張しながら頷く。

佐藤美咲 — 「この提案。」

佐藤美咲 — 「一番届けたい相手は誰?」

七海は少し考えてから答えた。

高橋七海 — 「現場で毎日使う人です。」

佐藤美咲 — 「どうして?」

高橋七海 — 「その人が納得しないと、社長が決めても続かないと思ったからです。」

美咲は微笑んだ。

佐藤美咲 — 「じゃあ。」

佐藤美咲 — 「その人が読んだら、どんな気持ちになるかな。」

会議室は静かになった。

誰も答えを教えない。

でも、全員が考えている。

その空気を見ながら、神崎部長が小さく笑った。

営業部は変わり始めていた。

黒田が変えたのではない。

問いが文化になり始めていた。

前の話

第9章「一番手のかかる新人」

シリーズ一覧へ全エピソード

次の話

第11章「初めての「ありがとう」」