三月。
営業部には春の空気が流れ始めていた。
窓際の観葉植物には、小さな新芽が出ている。
七海も、もう電話で緊張することは少なくなった。
蒼は後輩へAIの使い方を教えるようになり、
神崎部長はレビュー会へ必ず参加するようになっていた。
営業部は変わっていた。
誰も、その変化を口にはしない。
でも、誰もが感じていた。
昼休み。
社員食堂。
七海がぽつりとつぶやいた。
高橋七海 — 「営業部って。」
高橋七海 — 「なんか変わりましたよね。」
蒼が笑う。
蒼 — 「前は静かだった。」
蒼 — 「今は質問ばっかり。」
田辺も笑う。
田辺 — 「レビューも怖くなくなった。」
神崎部長が味噌汁を飲みながら言う。
神崎部長 — 「相談が増えたな。」
少し前なら、
「忙しいので後で。」
そんな言葉ばかりだった。
今は違う。
「一緒に考えよう。」
その言葉が自然に出る。
その日の午後。
一本の電話が入る。
契約にはならなかったお客様からだった。
社長 — 「佐藤さん。」
社長 — 「相談だけなんですが。」
競合他社で導入したシステムがうまく動かないという。
社長 — 「御社とは契約していないのに。」
社長 — 「申し訳ありません。」
美咲は少し笑った。
佐藤美咲 — 「大丈夫ですよ。」
佐藤美咲 — 「何に困っていますか?」
三十分ほど話を聞いた。
最後に社長が言う。
社長 — 「ありがとう。」
社長 — 「契約してないのに。」
社長 — 「相談できる会社があって助かりました。」
電話を切る。
美咲は少し考えた。
売上にはならない。
でも、
営業として何か大切なものを得た気がした。
夕方。
黒田が帰り支度をしている。
美咲がその話をした。
佐藤美咲 — 「契約にならない相談だったんです。」
黒田は静かに聞いていた。
佐藤美咲 — 「でも。」
佐藤美咲 — 「話を聞いてよかったと思いました。」
黒田は少し窓の外を見る。
夕日が営業部を赤く染めていた。
黒田 — 「会社って。」
黒田が静かに言う。
黒田 — 「帰る場所なんだ。」
美咲は意味が分からなかった。
佐藤美咲 — 「帰る場所?」
黒田 — 「困ったら。」
黒田 — 「相談できる。」
黒田 — 「失敗したら。」
黒田 — 「戻れる。」
黒田 — 「分からなかったら。」
黒田 — 「聞ける。」
黒田は営業部を見渡した。
七海が笑っている。
蒼が誰かへAIを教えている。
田辺と神崎部長がレビューをしている。
黒田 — 「そういう場所なら。」
少し笑う。
黒田 — 「人は辞めない。」
その夜。
美咲は帰宅すると、娘の結菜がランドセルを抱えて泣いていた。
佐藤美咲 — 「どうしたの?」
結菜 — 「友達とけんかした。」
結菜 — 「もう学校行きたくない。」
美咲はすぐには励まさなかった。
黒田なら、どうするだろう。
そう思った。
しばらく隣へ座る。
お茶を入れる。
二人で黙って飲む。
十分ほど経ってから聞いた。
佐藤美咲 — 「何があったの?」
結菜は少しずつ話し始めた。
全部話し終えるころには、涙は止まっていた。
最後に結菜が笑った。
結菜 — 「聞いてくれてありがとう。」
美咲も笑う。
佐藤美咲 — 「解決してないけどね。」
結菜 — 「うん。」
結菜 — 「でも。」
結菜 — 「ちょっと楽になった。」
その瞬間、美咲は気付く。
仕事も同じだった。
人は、
答えが欲しいのではない。
安心して話せる場所が欲しいのだ。
翌朝。
営業部。
黒田はホワイトボードへ一言だけ書いた。
安心
誰も説明を求めなかった。
もう営業部は知っている。
今日の仕事は、
売ることではない。
安心を届けることだ。
昼過ぎ。
黒田は誰もいない会議室へ入る。
静かに仕事ノートを開く。
新しいページ。
万年筆を持つ。
少し考える。
そして、一行だけ書いた。
「そろそろ、私がいなくても大丈夫そうだ。」
読者だけが、その文字を見る。
営業部の誰も知らない。
まだ。
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