十二月。
営業部に、新しい風が吹いた。
神崎部長 — 「今日から営業部へ配属になります。」
朝礼で神崎部長が紹介する。
神崎部長 — 「高橋七海です。」
緊張した表情の女性が一歩前へ出る。
二十四歳。
新卒二年目。
総務部から営業部への異動だった。
高橋七海 — 「よろしくお願いします。」
小さな声だった。
美咲は自然と二年前の自分を思い出す。
初めて営業部へ配属された日。
電話一本かけるだけで手が震えていた。
神崎部長 — 「佐藤さん。」
朝礼が終わると神崎部長が声をかけた。
神崎部長 — 「教育担当、お願いできますか。」
一瞬だけ言葉に詰まる。
佐藤美咲 — 「私が……ですか。」
神崎部長 — 「そろそろ後輩を育ててもらわないと。」
美咲は小さくうなずいた。
佐藤美咲 — 「分かりました。」
午前中。
七海は美咲の隣に座り、商談メモを書いていた。
何度も消しては書き直している。
佐藤美咲 — 「大丈夫?」
美咲が声を掛けると、七海は慌てて頭を下げた。
高橋七海 — 「すみません。」
高橋七海 — 「何を書けばいいか分からなくて……。」
その瞬間だった。
美咲は反射的に言いそうになった。
「こう書けばいいよ。」
しかし、口が止まる。
黒田の声が頭に浮かぶ。
教えすぎるな。
考えさせろ。
美咲は少しだけ椅子を引いた。
佐藤美咲 — 「七海さん。」
高橋七海 — 「はい。」
佐藤美咲 — 「お客様は。」
佐藤美咲 — 「何に困ってたと思う?」
七海は黙った。
ノートを見る。
資料を見る。
少し考える。
高橋七海 — 「……納期、ですか。」
佐藤美咲 — 「どうしてそう思ったの?」
高橋七海 — 「何回も確認されていたので。」
美咲はうなずいた。
佐藤美咲 — 「いいところ見てるね。」
七海の表情が少しだけ明るくなる。
佐藤美咲 — 「じゃあ。」
佐藤美咲 — 「その困りごとが伝わるようにメモを書いてみようか。」
七海はもう一度ノートを開いた。
今度は手が止まらない。
昼休み。
社員食堂。
蒼が笑いながら聞く。
蒼 — 「教育担当、どうですか?」
美咲は苦笑した。
佐藤美咲 — 「難しい。」
蒼 — 「何が?」
佐藤美咲 — 「教えたくなる。」
蒼は笑う。
蒼 — 「分かります。」
蒼 — 「答え言った方が早いですもん。」
美咲は箸を止める。
佐藤美咲 — 「でも。」
佐藤美咲 — 「早いだけなんだよね。」
その言葉を聞いた蒼は、一瞬だけ黙った。
二人とも、黒田と同じことを考え始めていた。
午後。
七海が初めて電話応対をする。
緊張で声が小さい。
途中で言葉に詰まる。
受話器を押さえ、美咲を見る。
高橋七海 — 「どうしたら……。」
美咲は口を開きかける。
答えを言えば終わる。
三十秒で済む。
でも違う。
美咲は小さくメモを書いて見せた。
「相手は何を知りたい?」
七海はその紙を見る。
深呼吸をする。
そして受話器へ向き直った。
高橋七海 — 「失礼しました。」
高橋七海 — 「確認いたします。」
落ち着いた声だった。
電話が終わる。
七海は大きく息を吐いた。
高橋七海 — 「できました……。」
佐藤美咲 — 「うん。」
佐藤美咲 — 「自分でできたね。」
七海は少し驚いた顔をした。
高橋七海 — 「佐藤さん。」
高橋七海 — 「助けてくれないんだと思いました。」
美咲は笑う。
佐藤美咲 — 「助けてたよ。」
高橋七海 — 「え?」
佐藤美咲 — 「答えじゃなくて。」
佐藤美咲 — 「考える場所を。」
七海はその意味を、まだ半分しか理解できていなかった。
でも、美咲自身は気付いていた。
これはもう、黒田の言葉ではない。
自分の言葉になり始めている。
夕方。
営業部には静かな音楽が流れていた。
黒田は自分の席で仕事ノートを開いている。
美咲が近づいた。
佐藤美咲 — 「黒田さん。」
黒田 — 「どうだった?」
佐藤美咲 — 「……難しかったです。」
黒田は顔を上げる。
黒田 — 「教えるの?」
美咲はうなずく。
佐藤美咲 — 「答えを言わないようにするのが。」
佐藤美咲 — 「すごく難しかったです。」
黒田は笑った。
黒田 — 「そう。」
少し間を置く。
黒田 — 「だから。」
黒田 — 「先生も。」
黒田 — 「毎日勉強。」
二人は少し笑った。
そのとき、美咲は初めて思った。
黒田は、生まれつきこんな人だったわけじゃない。
毎日迷って、
毎日考えて、
毎日失敗しながら、
少しずつ今の黒田になったのだ。
そのことが、なぜだかとても嬉しかった。
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