三月中旬。
営業部では、年度末最後の大型案件が動いていた。
担当は七海だった。
営業部へ来て、まだ三か月。
普通なら先輩が同行する。
しかし今回は違った。
神崎部長が静かに言った。
神崎部長 — 「今回は一人で行こう。」
七海は驚いた。
高橋七海 — 「私一人ですか?」
神崎は笑う。
神崎部長 — 「もう大丈夫だろ。」
七海は思わず美咲を見る。
美咲も少しだけ不安だった。
けれど、首を縦に振る。
佐藤美咲 — 「行っておいで。」
営業車が会社を出ていく。
窓から見送る営業部。
蒼がぽつりと言った。
蒼 — 「大丈夫かな。」
田辺が笑う。
田辺 — 「昔のお前も同じこと言われてたぞ。」
営業部に笑いが広がる。
その輪の少し後ろで、黒田は静かに窓の外を見ていた。
何も言わない。
ただ、小さくうなずくだけだった。
午後四時。
営業部では誰も落ち着かなかった。
時計を見る。
メールを開く。
また時計を見る。
七海から連絡はない。
蒼 — 「遅いな。」
蒼が心配そうにつぶやく。
美咲は自分の初商談を思い出していた。
帰り道、悔しくて泣いたこと。
車を停めて、十分ほど動けなかったこと。
「大丈夫。」
そう自分に言い聞かせる。
でも胸は落ち着かなかった。
午後五時十分。
営業部のドアが開く。
七海だった。
スーツの肩に、小さな雨粒が残っている。
佐藤美咲 — 「おかえり。」
美咲が声を掛ける。
七海は何も言わない。
ゆっくり営業部の真ん中まで歩く。
営業バッグを置く。
そして、
深く頭を下げた。
高橋七海 — 「受注できました。」
営業部が一瞬静まり返る。
次の瞬間。
拍手が起こった。
蒼が立ち上がる。
蒼 — 「やったじゃん!」
田辺も笑う。
田辺 — 「初受注だな!」
神崎部長まで拍手している。
七海は顔を上げられなかった。
肩が少し震えている。
泣いていた。
少し落ち着いてから、美咲が聞いた。
佐藤美咲 — 「何が決め手だった?」
七海は涙を拭きながら笑う。
高橋七海 — 「分からないんです。」
営業部が笑う。
高橋七海 — 「でも。」
七海は続けた。
高橋七海 — 「最後に社長が。」
言葉を選ぶようにゆっくり話す。
高橋七海 — 「"あなたは商品を売りに来なかったね"って。」
美咲は静かに聞いている。
高橋七海 — 「"うちの会社を知ろうとしてくれた。"」
高橋七海 — 「"だからお願いしたい。"」
営業部は静かになった。
誰も拍手をしない。
その言葉の重みを、それぞれが噛みしめていた。
その日の夜。
営業部では珍しく小さな祝賀会が開かれた。
コンビニの唐揚げ。
紙コップのお茶。
豪華ではない。
でも、みんな笑っていた。
七海が立ち上がる。
高橋七海 — 「ありがとうございました。」
高橋七海 — 「最初は。」
高橋七海 — 「営業なんて向いてないと思ってました。」
少し笑う。
高橋七海 — 「でも。」
高橋七海 — 「今は。」
高橋七海 — 「お客様の話を聞くのが楽しいです。」
その言葉を聞きながら、美咲は黒田を見た。
黒田は何も言わない。
少し離れた席で、いつものブラックコーヒーを飲んでいる。
拍手もしない。
前へも出ない。
ただ、静かに七海を見ていた。
祝賀会が終わり、みんなが帰り支度を始める。
美咲は黒田の隣へ行った。
佐藤美咲 — 「黒田さん。」
佐藤美咲 — 「七海さん。」
佐藤美咲 — 「立派になりましたね。」
黒田は少し笑う。
黒田 — 「うん。」
黒田 — 「でも。」
黒田 — 「私じゃない。」
佐藤美咲 — 「え?」
黒田 — 「佐藤さん。」
黒田 — 「だよ。」
美咲は驚いた。
佐藤美咲 — 「私、何もしてません。」
黒田は首を横に振る。
黒田 — 「答え。」
黒田 — 「言わなかった。」
黒田 — 「待った。」
黒田 — 「信じた。」
黒田 — 「それが。」
黒田 — 「一番難しい。」
美咲は何も言えなかった。
七海が成長した理由。
それは、自分が教えたからではない。
自分で考えられるようになるまで、待ったから。
ようやく、その意味が分かった。
営業部を出るとき。
黒田はいつものように机の上を整えていた。
ふと、美咲は気付く。
机の引き出しが一つ空になっている。
佐藤美咲 — 「あれ?」
昨日まで入っていた資料がない。
黒田は気付かれたことに気付きながらも、何も言わない。
ただ静かに引き出しを閉める。
営業部員 — 「お先に。」
営業部員 — 「お疲れ様でした。」
営業部にいつもの挨拶が響く。
その背中を見送りながら、美咲は胸の奥に、小さな違和感を覚えた。
理由は分からない。
でも、その背中が少しだけ遠く見えた。
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