金曜日、午後五時。
営業部は慌ただしかった。
電話が鳴る。
チャットが届く。
メールの通知音が鳴り続ける。
コピー機は止まらない。
誰も席を立たない。
誰も時計を見ない。
田辺 — 「今日も終わらないな……。」
田辺が伸びをした。
蒼は画面を見つめたまま言う。
蒼 — 「AIを使ってるのに、なんで忙しいんだろう。」
その一言に、美咲も思わず顔を上げた。
確かにそうだった。
AIを導入して一か月。
メールは早く書ける。
議事録も数分で終わる。
資料作りも楽になった。
なのに。
なぜか仕事は減っていない。
その日の夕方。
黒田は営業部を見回していた。
誰もが忙しそうにキーボードを叩いている。
黒田は何も言わず、ホワイトボードへ向かった。
大きく二つの円を書く。
左に
作業
右に
仕事
営業部のメンバーが集まってくる。
黒田はペンを置いた。
黒田 — 「質問。」
黒田 — 「違いは?」
誰もすぐには答えられない。
蒼が口を開く。
蒼 — 「仕事の中に、作業がある……ですか?」
黒田は笑った。
黒田 — 「面白いね。」
しかし答えは言わない。
美咲はホワイトボードを見つめた。
佐藤美咲 — 「作業は……。」
佐藤美咲 — 「手を動かすこと。」
黒田はうなずく。
黒田 — 「仕事は?」
美咲は考える。
昨日の提案。
お客様との会話。
レビュー。
あの日の電話。
いろいろな場面が頭をよぎる。
そして、ぽつりとつぶやいた。
佐藤美咲 — 「考えること……?」
黒田は初めて大きくうなずいた。
黒田 — 「そう。」
静かな声だった。
黒田 — 「AIが減らすのは。」
黒田 — 「作業。」
黒田 — 「人が増やすべきなのは。」
少し間を置く。
黒田 — 「考える時間。」
営業部が静まり返る。
黒田は蒼のパソコンを指さした。
黒田 — 「今日。」
黒田 — 「AIで何時間浮いた?」
蒼 — 「一時間くらいです。」
黒田 — 「その一時間。」
黒田 — 「何した?」
蒼は答えに詰まる。
メール。
チャット。
資料。
結局、別の作業をしていた。
黒田は責めない。
ただ静かに聞く。
黒田 — 「考える時間。」
黒田 — 「取れた?」
蒼は首を横に振った。
蒼 — 「……いいえ。」
その夜。
美咲は会社を出る前に、机の上を片付けていた。
ふと気付く。
一年前なら、残業時間はもっと長かった。
今は一時間早く終われる日もある。
でも、その一時間はどこへ消えたのだろう。
スマートフォンを見る。
メール。
チャット。
細かな確認。
空いた時間は、
新しい作業で埋め尽くされていた。
佐藤美咲 — 「考える時間……。」
黒田の言葉が頭をよぎる。
翌週。
美咲は少しだけ仕事のやり方を変えた。
朝一番。
メールを開かない。
チャットも見ない。
三十分だけノートを開く。
今日、お客様は何に困っているだろう。
来月、この会社は何を目指しているのだろう。
自分たちにできることは何だろう。
答えは出ない。
でも、不思議と仕事の見え方が変わる。
九時になってメールを開く。
以前なら「返信しなきゃ」と思っていた内容が、「これは後でもいい」と判断できるようになっていた。
考えてから動く。
それだけで、一日の流れが変わった。
一週間後。
神崎部長が営業部の数字を見て首をかしげた。
神崎部長 — 「残業が減ってる。」
神崎部長 — 「なのに売上は上がってる。」
蒼が笑う。
蒼 — 「仕事したからじゃないですか。」
神崎は首をかしげる。
神崎部長 — 「今までも仕事はしていただろ。」
美咲が静かに言った。
佐藤美咲 — 「いいえ。」
佐藤美咲 — 「今までは。」
佐藤美咲 — 「作業をしてました。」
神崎は黙った。
その言葉は、自分にも刺さっていた。
夕方。
黒田は仕事ノートを開く。
静かに一行だけ書く。
そしてノートを閉じる。
誰にも見せない。
しかし読者だけは、その内容を知る。
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