THINKLAB
シリーズ目次を開く

黒田室長はAIを教えない

AI時代に一番大切な仕事の教科書

第5章

答えは会議室には落ちていない

現場へ行かなければ、本当の課題は見えてこない。

読了時間 約11分公開日 2026年7月22日
  • 現場
  • 顧客
  • 仮説

翌週の月曜日。

営業部では朝から慌ただしく電話が鳴っていた。

金曜日に提案した大型案件。

先方から連絡が入った。

美咲は受話器を置くと、小さくため息をついた。

佐藤美咲 — 「プレゼンは評価していただけました。」

蒼が笑顔になる。

— 「じゃあ受注ですか?」

美咲は静かに首を振った。

佐藤美咲 — 「違う。」

佐藤美咲 — 「"もう少し考えさせてください"って。」

営業経験の長い者なら、その言葉の意味は分かる。

悪くはない。

でも、決め手もない。

営業部に少し重たい空気が流れた。

午前十時。

急きょ作戦会議が始まる。

神崎部長がホワイトボードの前に立つ。

神崎部長 — 「原因を考えよう。」

営業部から次々に意見が出る。

営業部員 — 「価格でしょうか。」

営業部員 — 「競合が安いのかも。」

営業部員 — 「機能が足りなかった?」

営業部員 — 「資料のボリューム?」

十分ほどでホワイトボードは文字で埋まった。

しかし、どれも推測だった。

黒田は最後まで何も言わない。

腕も組まない。

メモも取らない。

ただ静かに全員を見ている。

神崎部長が振り返る。

神崎部長 — 「黒田さん、どう思います?」

営業部全員の視線が集まる。

黒田なら答えを持っている。

誰もがそう思った。

しかし黒田は首を横に振った。

黒田 — 「分からない。」

営業部が静まり返る。

— 「え……?」

蒼が思わず声を漏らした。

黒田 — 「分からない。」

黒田はもう一度言った。

黒田 — 「だって。」

黒田 — 「聞いてないから。」

その一言で、会議室の空気が止まった。

黒田はホワイトボードへ歩く。

書かれている原因候補を一つひとつ眺める。

価格。

競合。

機能。

資料。

その横に、大きく一本線を引いた。

そして一言だけ書く。

事実

黒田 — 「これは全部。」

黒田が振り返る。

黒田 — 「事実?」

誰も答えない。

黒田 — 「それとも。」

黒田 — 「想像?」

美咲はホワイトボードを見つめた。

価格が原因。

競合が原因。

どれも自分たちの想像だった。

佐藤美咲 — 「事実は……。」

彼女が小さくつぶやく。

佐藤美咲 — 「お客様が"考えます"と言ったことだけ。」

黒田は静かにうなずいた。

黒田 — 「そう。」

黒田 — 「仕事は。」

黒田 — 「想像から始めない。」

黒田 — 「事実から始める。」

沈黙が流れる。

やがて蒼が口を開いた。

— 「じゃあ……。」

— 「聞けばいい。」

黒田は笑う。

黒田 — 「いい質問。」

午後。

美咲は勇気を出して、お客様へ電話をかけた。

契約を迫るためではない。

理由を聞くためだった。

佐藤美咲 — 「率直に教えていただけませんか。」

佐藤美咲 — 「私たちの提案で、何か足りなかった点はありましたか。」

電話の向こうで社長は少し笑った。

社長 — 「提案は良かったですよ。」

佐藤美咲 — 「じゃあ……。」

社長 — 「実は。」

社長は少し間を置いた。

社長 — 「導入後のことが見えなかったんです。」

佐藤美咲 — 「導入後……?」

社長 — 「システムは分かりました。」

社長 — 「でも。」

社長 — 「社員が使えるようになるまで、誰が支援してくれるのか。」

社長 — 「そこが不安でした。」

美咲は思わずペンを止めた。

営業部で一時間議論した答えは、一つも当たっていなかった。

夕方。

営業部へ戻る。

美咲は電話の内容を共有した。

神崎部長は腕を組む。

神崎部長 — 「なるほど。」

蒼は苦笑いする。

— 「全部外れてましたね。」

黒田はコーヒーを飲みながら静かに言った。

黒田 — 「だから。」

黒田 — 「会議だけじゃ。」

黒田 — 「答えは出ない。」

美咲はその言葉をノートへ書いた。

答えは会議室には落ちていない。

答えは、

お客様の中にある。

翌週。

営業部は提案書を書き直した。

システムの説明は半分に減らした。

代わりに、新しい一章を追加した。

導入後三か月の伴走支援計画

一週間後。

契約は決まった。

社長が最後に言った。

社長 — 「システムを買ったんじゃありません。」

社長 — 「安心を買いました。」

美咲は電話を切ったあと、しばらく受話器を握ったままだった。

あの日、黒田が言った言葉が頭をよぎる。

「お客様は、システムを買わない。」

「安心を買う。」

ようやく、その意味が分かった。

前の話

第4章「教えすぎた日」

シリーズ一覧へ全エピソード

次の話

第6章「レビューはダメ出しじゃない」