翌週の月曜日。
営業部では朝から慌ただしく電話が鳴っていた。
金曜日に提案した大型案件。
先方から連絡が入った。
美咲は受話器を置くと、小さくため息をついた。
佐藤美咲 — 「プレゼンは評価していただけました。」
蒼が笑顔になる。
蒼 — 「じゃあ受注ですか?」
美咲は静かに首を振った。
佐藤美咲 — 「違う。」
佐藤美咲 — 「"もう少し考えさせてください"って。」
営業経験の長い者なら、その言葉の意味は分かる。
悪くはない。
でも、決め手もない。
営業部に少し重たい空気が流れた。
午前十時。
急きょ作戦会議が始まる。
神崎部長がホワイトボードの前に立つ。
神崎部長 — 「原因を考えよう。」
営業部から次々に意見が出る。
営業部員 — 「価格でしょうか。」
営業部員 — 「競合が安いのかも。」
営業部員 — 「機能が足りなかった?」
営業部員 — 「資料のボリューム?」
十分ほどでホワイトボードは文字で埋まった。
しかし、どれも推測だった。
黒田は最後まで何も言わない。
腕も組まない。
メモも取らない。
ただ静かに全員を見ている。
神崎部長が振り返る。
神崎部長 — 「黒田さん、どう思います?」
営業部全員の視線が集まる。
黒田なら答えを持っている。
誰もがそう思った。
しかし黒田は首を横に振った。
黒田 — 「分からない。」
営業部が静まり返る。
蒼 — 「え……?」
蒼が思わず声を漏らした。
黒田 — 「分からない。」
黒田はもう一度言った。
黒田 — 「だって。」
黒田 — 「聞いてないから。」
その一言で、会議室の空気が止まった。
黒田はホワイトボードへ歩く。
書かれている原因候補を一つひとつ眺める。
価格。
競合。
機能。
資料。
その横に、大きく一本線を引いた。
そして一言だけ書く。
事実
黒田 — 「これは全部。」
黒田が振り返る。
黒田 — 「事実?」
誰も答えない。
黒田 — 「それとも。」
黒田 — 「想像?」
美咲はホワイトボードを見つめた。
価格が原因。
競合が原因。
どれも自分たちの想像だった。
佐藤美咲 — 「事実は……。」
彼女が小さくつぶやく。
佐藤美咲 — 「お客様が"考えます"と言ったことだけ。」
黒田は静かにうなずいた。
黒田 — 「そう。」
黒田 — 「仕事は。」
黒田 — 「想像から始めない。」
黒田 — 「事実から始める。」
沈黙が流れる。
やがて蒼が口を開いた。
蒼 — 「じゃあ……。」
蒼 — 「聞けばいい。」
黒田は笑う。
黒田 — 「いい質問。」
午後。
美咲は勇気を出して、お客様へ電話をかけた。
契約を迫るためではない。
理由を聞くためだった。
佐藤美咲 — 「率直に教えていただけませんか。」
佐藤美咲 — 「私たちの提案で、何か足りなかった点はありましたか。」
電話の向こうで社長は少し笑った。
社長 — 「提案は良かったですよ。」
佐藤美咲 — 「じゃあ……。」
社長 — 「実は。」
社長は少し間を置いた。
社長 — 「導入後のことが見えなかったんです。」
佐藤美咲 — 「導入後……?」
社長 — 「システムは分かりました。」
社長 — 「でも。」
社長 — 「社員が使えるようになるまで、誰が支援してくれるのか。」
社長 — 「そこが不安でした。」
美咲は思わずペンを止めた。
営業部で一時間議論した答えは、一つも当たっていなかった。
夕方。
営業部へ戻る。
美咲は電話の内容を共有した。
神崎部長は腕を組む。
神崎部長 — 「なるほど。」
蒼は苦笑いする。
蒼 — 「全部外れてましたね。」
黒田はコーヒーを飲みながら静かに言った。
黒田 — 「だから。」
黒田 — 「会議だけじゃ。」
黒田 — 「答えは出ない。」
美咲はその言葉をノートへ書いた。
答えは会議室には落ちていない。
答えは、
お客様の中にある。
翌週。
営業部は提案書を書き直した。
システムの説明は半分に減らした。
代わりに、新しい一章を追加した。
導入後三か月の伴走支援計画
一週間後。
契約は決まった。
社長が最後に言った。
社長 — 「システムを買ったんじゃありません。」
社長 — 「安心を買いました。」
美咲は電話を切ったあと、しばらく受話器を握ったままだった。
あの日、黒田が言った言葉が頭をよぎる。
「お客様は、システムを買わない。」
「安心を買う。」
ようやく、その意味が分かった。
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