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黒田室長はAIを教えない

AI時代に一番大切な仕事の教科書

第11章

初めての「ありがとう」

仕事の価値は、数字だけで測れるものではない。

読了時間 約10分公開日 2026年7月22日
  • 感謝
  • 価値
  • 仕事

一月。

朝の空気は冷たかった。

営業部の窓から見える街は、白く霞んでいる。

七海はデスクの前で深呼吸を繰り返していた。

今日は初めて、一人でお客様を訪問する日だった。

佐藤美咲 — 「緊張してる?」

美咲が温かいコーヒーを差し出す。

七海は苦笑いを浮かべた。

高橋七海 — 「すごく。」

高橋七海 — 「失敗したらどうしようって。」

美咲は少し笑う。

その言葉は、半年前の自分とまったく同じだった。

営業車の鍵を渡しながら、美咲は言った。

佐藤美咲 — 「一つだけ約束して。」

七海は真剣な表情でうなずく。

高橋七海 — 「はい。」

佐藤美咲 — 「分からないことがあったら?」

七海は少し考える。

高橋七海 — 「電話します。」

美咲は首を横に振った。

佐藤美咲 — 「違う。」

七海は戸惑う。

高橋七海 — 「え?」

佐藤美咲 — 「まず。」

佐藤美咲 — 「聞いてみよう。」

佐藤美咲 — 「お客様に。」

七海は少し驚いたような顔をした。

高橋七海 — 「お客様に?」

佐藤美咲 — 「うん。」

佐藤美咲 — 「答えを探す前に。」

佐藤美咲 — 「困っていることを聞いてきて。」

七海はゆっくりとうなずいた。

午後一時。

七海は町工場を訪れていた。

社長は七十歳を超えている。

優しそうな笑顔の人だった。

最初は予定通り商品の説明を始めた。

しかし途中で気付く。

社長は資料を見ていない。

窓の外を見つめている。

七海は一瞬焦った。

説明が悪いのだろうか。

もっと詳しく話すべきか。

その時、美咲の言葉を思い出した。

「まず、聞いてみよう。」

七海は資料を閉じた。

高橋七海 — 「社長。」

高橋七海 — 「一つ、お聞きしてもいいですか。」

社長は顔を上げる。

社長 — 「どうぞ。」

高橋七海 — 「今、一番困っていることは何ですか。」

社長は少し笑った。

社長 — 「それを聞いてくれる人、久しぶりだな。」

七海は何も言わず待った。

社長はゆっくり話し始める。

社長 — 「システムじゃないんだ。」

社長 — 「若い子が辞めちゃう。」

社長 — 「教えても。」

社長 — 「一年でいなくなる。」

社長 — 「だから。」

社長 — 「教える気力もなくなってきた。」

七海はメモを取らなかった。

ただ聞いていた。

社長は二十分近く話し続けた。

帰り際、資料はほとんど開かなかった。

営業車に戻る。

七海はハンドルを握ったまま動けなかった。

今日は何も売れていない。

商品の説明も半分しかできなかった。

高橋七海 — 「失敗した……。」

そう思いながらエンジンをかけようとした。

その時、スマートフォンが鳴る。

社長からだった。

高橋七海 — 「もしもし。」

社長 — 「今日はありがとう。」

高橋七海 — 「え?」

社長 — 「久しぶりに。」

社長 — 「ちゃんと話を聞いてもらえた。」

社長 — 「それだけで嬉しかった。」

七海は言葉を失った。

契約ではない。

見積もりでもない。

でも。

「ありがとう。」

営業になって初めて、お客様からもらった言葉だった。

会社へ戻ると、美咲が待っていた。

佐藤美咲 — 「どうだった?」

七海は少し俯く。

高橋七海 — 「売れませんでした。」

佐藤美咲 — 「うん。」

高橋七海 — 「でも。」

七海は顔を上げる。

目が少し赤くなっていた。

高橋七海 — 「ありがとうって言われました。」

美咲は静かに笑う。

佐藤美咲 — 「よかったね。」

高橋七海 — 「でも。」

高橋七海 — 「契約じゃないですよ。」

佐藤美咲 — 「うん。」

佐藤美咲 — 「まだね。」

美咲はコートを脱ぎながら続けた。

佐藤美咲 — 「でも。」

佐藤美咲 — 「ありがとうを積み重ねた人が。」

佐藤美咲 — 「最後に選ばれる。」

七海は何も言えなかった。

その言葉には、不思議な重みがあった。

その様子を少し離れた席から黒田が見ていた。

何も言わない。

仕事ノートを開く。

万年筆を走らせる。

ページを閉じる。

そして静かに帰り支度を始めた。

美咲が追いかける。

佐藤美咲 — 「黒田さん。」

佐藤美咲 — 「今日。」

佐藤美咲 — 「七海さん。」

佐藤美咲 — 「ありがとうって言われました。」

黒田は立ち止まる。

少し笑う。

黒田 — 「よかった。」

佐藤美咲 — 「契約じゃないんです。」

黒田 — 「知ってる。」

佐藤美咲 — 「でも。」

美咲は少し考えながら言った。

佐藤美咲 — 「契約より嬉しかったです。」

黒田は営業部を見渡す。

七海はまだ電話の内容を思い返している。

蒼はその話を聞いて笑っている。

神崎部長も静かに耳を傾けている。

黒田はゆっくりうなずいた。

黒田 — 「営業は。」

少し間を置く。

黒田 — 「売る仕事じゃない。」

美咲はその続きを待つ。

黒田 — 「信じてもらう仕事。」

その一言だけ残して、黒田は営業部を後にした。

その夜。

七海は初めて営業日報を自分の言葉で書いた。

今日、商品は売れなかった。

でも、お客様が心を開いてくれた。

営業は、話す仕事だと思っていた。

違った。

聞く仕事だった。

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