半年後。
四月。
新しい年度が始まった。
営業部にも、新入社員が配属される。
会議室には十人ほどの新人が座っていた。
緊張した表情。
真新しいスーツ。
まだ少し硬い笑顔。
窓から差し込む春の日差しが、白いホワイトボードを照らしている。
佐藤美咲 — 「おはようございます。」
会議室のドアが開く。
佐藤美咲だった。
少し落ち着いた表情。
以前よりも歩く速度がゆっくりになった。
新人たちへ一礼する。
佐藤美咲 — 「よろしくお願いします。」
美咲はホワイトボードの前へ立つ。
ペンを持つ。
新人たちはノートを開く。
「AI研修」と書かれた資料が机の上に置かれている。
きっと、
ChatGPTの使い方。
プロンプトの書き方。
便利な機能。
そんな話が始まると思っている。
美咲は何も話さない。
ホワイトボードへ、大きく一文字だけ書いた。
?
会議室が静かになる。
新人たちは顔を見合わせる。
一人の男性が、おそるおそる手を挙げた。
新人 — 「すみません。」
新人 — 「書き間違いですか?」
会議室に小さな笑いが広がる。
美咲も笑った。
佐藤美咲 — 「いい質問です。」
その一言で、会議室の空気が少し和らいだ。
美咲は新人たちを見渡す。
半年前の自分が、そこに座っているような気がした。
佐藤美咲 — 「今日は。」
少し間を置く。
佐藤美咲 — 「AIは教えません。」
新人たちがざわつく。
新人 — 「え?」
新人 — 「じゃあ、何を勉強するんですか?」
美咲はホワイトボードの「?」を見つめた。
静かに答える。
佐藤美咲 — 「仕事です。」
また静かになる。
美咲は続ける。
佐藤美咲 — 「AIは便利です。」
佐藤美咲 — 「資料も作れます。」
佐藤美咲 — 「メールも書けます。」
佐藤美咲 — 「議事録もまとめてくれます。」
佐藤美咲 — 「でも。」
佐藤美咲 — 「仕事は。」
佐藤美咲 — 「作れません。」
新人たちは真剣な表情になる。
佐藤美咲 — 「仕事は。」
佐藤美咲 — 「人の困りごとを見つけること。」
佐藤美咲 — 「人の話を聞くこと。」
佐藤美咲 — 「一緒に考えること。」
佐藤美咲 — 「信じてもらうこと。」
佐藤美咲 — 「そして。」
佐藤美咲 — 「ありがとうと言ってもらえること。」
会議室は静まり返っていた。
誰もメモを取らない。
ただ聞いている。
美咲はペンを置く。
佐藤美咲 — 「だから。」
佐藤美咲 — 「今日は質問から始めます。」
一人の新人を見る。
佐藤美咲 — 「あなたは。」
佐藤美咲 — 「仕事って何だと思いますか?」
新人は困ったように笑う。
新人 — 「まだ分かりません。」
美咲は優しくうなずく。
佐藤美咲 — 「それでいい。」
佐藤美咲 — 「私も。」
佐藤美咲 — 「まだ分からないから。」
その瞬間。
会議室の空気が少し変わった。
正解を探す場所ではなく、
一緒に考える場所になった。
研修が終わる。
新人たちが部屋を出ていく。
最後に一人の新人が立ち止まる。
新人 — 「佐藤さん。」
新人 — 「今日。」
新人 — 「AIの話、ほとんどありませんでしたね。」
美咲は笑う。
佐藤美咲 — 「そうだね。」
佐藤美咲 — 「でも。」
佐藤美咲 — 「一番大事な話をしたよ。」
新人は首をかしげる。
新人 — 「何ですか?」
美咲はホワイトボードを見る。
まだ「?」が残っている。
佐藤美咲 — 「いい質問を持つこと。」
佐藤美咲 — 「それだけ覚えて帰って。」
新人は少し考えてから笑った。
新人 — 「はい。」
深く頭を下げ、部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
静かな会議室。
美咲は一人、ホワイトボードの前に立つ。
ふと窓の外を見る。
春風に桜が揺れている。
その景色を見ながら、小さく笑った。
佐藤美咲 — 「黒田さん。」
返事はない。
でも、不思議と寂しくはなかった。
営業部には、今も質問が飛び交っている。
レビューでは答えより問いが増えた。
新人は「分かりません」と言えるようになった。
誰かが困れば、誰かが隣に座る。
あの日、黒田が作ろうとしていたものは、
ちゃんと残っていた。
美咲はホワイトボードへ近づく。
黒板消しを持つ。
?
を消そうとして、
少しだけ考える。
そして、消さなかった。
代わりに、その下へ一行だけ書いた。
いい仕事は、いい質問から始まる。
ペンを置く。
部屋を出る。
ドアが静かに閉まる。
ホワイトボードだけが残る。
白い会議室。
窓から差し込む春の光。
ホワイトボードには、
二つの文字だけ。
?
いい仕事は、いい質問から始まる。
ページをめくる。
白紙。
その中央に、小さく一行だけ。
次の質問は、あなたが書く。
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第16章「黒田室長がいない朝」
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