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黒田室長はAIを教えない

AI時代に一番大切な仕事の教科書

第15章

春は、いつも突然に

営業部はもう質問するようになった。黒田の仕事は、終わりに近づいている。

読了時間 約12分公開日 2026年7月22日
  • 変化
  • 終わり

三月の終わり。

営業部の窓から見える桜並木は、まだ三分咲きだった。

朝の光が差し込む営業部は、不思議なくらい穏やかだった。

電話が鳴る。

笑い声が聞こえる。

誰かがレビューをしている。

誰かがAIへ質問している。

誰かが新人へ質問している。

半年前にはなかった光景だった。

美咲はふと営業部を見渡した。

七海は電話をしながらメモを取っている。

蒼は後輩へAIの画面を見せながら説明している。

田辺はレビュー中なのに赤ペンではなく付箋を使っている。

神崎部長は数字ではなく、お客様アンケートを読んでいる。

営業部が変わった。

そのことを、誰よりも美咲が感じていた。

その時だった。

内線電話が鳴る。

黒田が受話器を取る。

黒田 — 「はい。」

静かに返事をする。

黒田 — 「分かりました。」

電話を切る。

立ち上がる。

黒田 — 「少し社長室へ行ってきます。」

それだけ言って営業部を出ていった。

誰も気に留めない。

美咲だけが、なんとなくその背中を見送っていた。

社長室。

ノックの音。

黒田 — 「失礼します。」

社長は窓際に立っていた。

振り返ると、小さく笑う。

社長 — 「営業部はどうだ。」

黒田も笑う。

黒田 — 「私がいなくても回ります。」

社長は黙って頷いた。

机の上には、一枚の封筒が置かれていた。

白い封筒。

人事部の印が押されている。

社長はそれを黒田へ差し出した。

黒田は何も言わず受け取った。

開けない。

ただ、静かに胸ポケットへ入れる。

社長 — 「四月一日付だ。」

社長の声は静かだった。

黒田 — 「はい。」

社長 — 「寂しくなるな。」

黒田は少し笑う。

黒田 — 「いい営業部になりました。」

その一言だけだった。

営業部へ戻る廊下。

窓の外には桜が揺れている。

黒田は立ち止まり、しばらくその景色を見ていた。

黒田 — 「春か。」

誰にも聞こえないほど小さな声だった。

営業部では、七海が困った顔をしていた。

高橋七海 — 「佐藤さん。」

高橋七海 — 「この提案書なんですが。」

美咲は自然に席を立つ。

資料を見る。

そして、すぐには答えない。

佐藤美咲 — 「七海さん。」

佐藤美咲 — 「一つ聞いてもいい?」

七海が笑う。

高橋七海 — 「また質問ですか?」

営業部のみんなも笑った。

佐藤美咲 — 「うん。」

佐藤美咲 — 「この提案。」

佐藤美咲 — 「一番伝えたいことは何?」

七海は少し考えた。

もう以前のように慌てない。

ノートを開く。

お客様のメモを読む。

そして、自分の言葉で話し始めた。

黒田は少し離れた席から、その様子を見ていた。

何も言わない。

もう、自分が入る場面ではない。

そんな穏やかな表情だった。

夕方。

営業部の照明が少しずつ消えていく。

黒田は机の引き出しを開けた。

一番奥に、小さな紙袋が入っている。

中には古い名刺。

古い社員証。

色あせたボールペン。

二十年以上前から使っている万年筆の箱。

一つひとつ丁寧に袋へ入れる。

その時、美咲が近づいた。

佐藤美咲 — 「片付けですか?」

黒田は一瞬だけ手を止めた。

黒田 — 「少しね。」

黒田 — 「年度末だから。」

佐藤美咲 — 「そうですね。」

美咲は何も疑わない。

黒田も何も説明しない。

ただ、机を少しだけ軽くした。

その夜。

営業部には誰もいなくなった。

黒田だけが残っていた。

静かな部屋。

時計の音だけが響いている。

仕事ノートを開く。

残りページは、あと数枚。

万年筆を手に取る。

少し考える。

そして書く。

営業部は、もう質問するようになった。

私の仕事は、終わりに近づいている。

ページを閉じる。

電気を消す。

営業部を振り返る。

誰もいないデスク。

ホワイトボード。

コーヒーメーカー。

笑い声が聞こえてきそうな静けさだった。

黒田は小さく頭を下げる。

誰に向かってでもない。

この場所へ。

そして静かにドアを閉めた。

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